人間見聞録・・受け継いでいる
皆さん、おはようございます。
雪で真っ白な朝をイメージしておりましたが、今朝の福岡地方は、かなり寒い曇空です。私が住んでいる場所は、うっすらとした雪化粧でした。。
雪に覆われなくて「良かった〜」が真の感想です。。
昨晩、仕事が終わり、妻に迎えにきて貰いました。車に乗り、「今晩、何を食べる??」と言う会話になります。
実は、妻も20:00まで仕事ですので、家に帰り食事を創って食べるとなると、メタボまっしぐら!!になってしまいます。。
次女の夕飯も済んでいるとの事でしたので、「じゃあ、質素に食べようか?」と決め、お店に向かって進み始めた時です。。
妻の携帯がなります。。着信音は、ファンモンの「あとひとつ」です。「良い曲だから電話に出らんで・・」心の中でそう言っていたんですが、残念ながら出てしまいました。。
相手は、長女でした。
現在、看護師になる為、大学で勉強中です。今は、関西の病院で、ホスピス・ターミナルケアの実習中です。。
「実習で何かあったかな??」・・そう思いました。しかし妻の話す電話の内容からすると、何か様子が違います。。所々で、「おお!!。へえ〜。ホントに??。覚えてたんだ。。」全く内容が読めない会話です。。元来、擬音語を使わせたら天下一品ですから・・・
ちょうどお店につきそうな頃、ようやく電話が終わりました。。「さあ、ご飯を食べよう!!」と言わんばかりのタイミングで電話がおわります。。
「ねえ、何を話したの??」・・興味津々の私は、すかさず聞きます。。「焦らない・焦らない・・」凄くじらします。。
お店に入り、注文をし、「ところで・・」と切り出すと、ゆっくりと、落ち着いて話を始めました。。
その話を聞き、「嬉しい・・嬉しいって、こんな感覚だったっけ??」と、初めて味わう嬉しさでした。。
「お母さん、私、ホスピス・ターミナルケアの看護に進みたい。。そう決めた。。」と伝えてきたそうなんです。。
今から遡ること14年前、私の父は、ホスピス・ターミナルケアをして頂きながら天国に召されました。。ここ栄光病院です。。
仕事を辞め、約2ヶ月、病室で、父との今生の別れが来るその日まで、母と3人で親子の絆を確かめあったあの時の事を長女が覚えていました。そして、父が亡くなった日の事も。。その後、私が転身し、ホスピス研究会に夫婦で参加していた為、送られてくる資料の事なども覚えていました。頭の片隅に、心のどこかに刷り込まれていたのかもしれません。。
ホスピス介護を目指す私にとって、長女の決意は、何よりも大きな力となりました。。一番近い家族が、いろいろな選択肢を経験した中で親と同じ方向性を選ぶ決意をした。。嬉しくてしかたありませんでした。。
時には、理不尽に怒ったり、長女が小さい時は、家に帰り、何かを一緒にする事も少なかったのに・・
多分、妻がいろいろな事を伝えていたんだと思います。。
あてに出来ない夫・・ しっかりと子供達を守り、育てた妻。。
妻なくして、今はありません。。
大切にしないと・・・ 感謝です。。
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