人間見聞録・・・荒巻 修先生から学ぶ

荒巻 修先生・・亡くなられましたが、私の小学校5年・6年の時の担任の先生です。

私は、福岡県田川郡の糸田小学校に通いました。この小学校の先輩には、笑老ライフ研究所の会員様で、N田さん、それと井上陽水さんがいます。

私は、小学校1年生の時から、野球を始め、仲間をつくり、野球が友達の様な生活をしていました。寝る時もグローブをはめて寝たり、ボールを握って寝たりと・・・

そんな生活をしていましたので、自分で言うのも変ですが、地域の中で野球が上手な方でした。そんな自負やプライドが高くなってきていた小学校5年の時です。私は、とにかく自信に満ち溢れ、誰にも負けない・・と言う自信がありました。これは全ての事に対してだったと思います。野球と言う1つの自信が、全ての自信になっていたと思います。

そんなある日、クラスの体育の授業で、ソフトボールの試合がありました。チーム編成は、荒巻先生が行います。

チームリーダーに選んで頂いた私は、『先生、是非、〇〇君と、〇〇君が欲しい』と言った記憶があります。しかし、先生は、私の望みと期待に相反して、違う人と同じチームを組ませました。そのメンバーとは、日頃から野球をしないメンバーで、野球に興味の無いメンバーでした。従って、野球は、余り上手ではないのです。

『相手チームは、野球の上手なメンバーばっかりで・・・こんなんえこひいきやんか・・』と言うと、先生から『悔しかったら勝ってみい・・・』と言われた様な気がします。

こうなったら勝つしかない!!勝つぞ!!とチームで気合を入れ、試合に望みましたが、2対3で負けました。確か、誰かのエラーがあったと思います。試合が終わり、腹の虫がおさまらない私は、バランスの悪いチーム分けをした荒巻先生にくってかかりました。

『先生、先生が、俺たちのチームにへたくそばっかりいれたから試合に負けたやんか!!』次の瞬間私は荒巻先生から大きな・大きな拳骨を『ドシン・・』と一発頂きました。目から火が出る・・とはこういう事をいうと思います。

荒巻先生の拳骨は有名で、とっても重く・深く・ずっしりきます。

『鷹尾君、痛いか?これは、人の心の痛みだぞ』・・・

その時私は、何で拳骨をされたのかわかりませんでした。家に帰り、母に『今日、〇〇で、〇〇だった。それで俺が何で拳骨をされないといけない?』『それは、剛が悪い。もし剛がその人達の立場で、違う人が剛の様に言ったらどう思うね・・想像してごらん。そしたら荒巻先生から拳骨された意味がわかるよ。剛、良い先生と出会えたね。』

私は、それからいろいろと想像したり、考えました。

それから数日後、私は、大事な右手首の骨を2本骨折したのです。その時、いち早く先生に知らせてくれた仲間、心配してくれた仲間等々、いろいろと仲間が私を支えてくれました。

そのような仲間に対して、私はとっても傲慢で、自分だけが良ければ良い・・と思っていた事に気がついてきました。

その時、荒巻先生に『先生、だから拳骨をくれたんですね。ありがとうございます』と素直にお礼を言えれば良かったのですが、中々言えず、本当にお礼を言えたのは、今から8年程前、私が介護の分野に進み、先生のお嬢様が陶芸家ですので、その作品を購入に伺った時だったと思います。

荒巻先生は、何も言わず、私の話を聞きながら、笑って下さりました。あの笑顔、あの大きなグー、あの拳骨、そしてあの暖かい人柄・・・もう会いたくても会えません。

荒巻 修先生・・あの時、先生がくれた重い拳骨、それがなければ、何も気がつかず、自分自身で嫌だと思う様な人間になり、ひどい人生になっていたと思います。先生、助けてくれて、ありがとうございました。私も、先生から教えて頂いた事を、私と同じ様な人間がいたら、その人の為にしたい・・と思います。

先生、ありがとう。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 9:52 AM  Comments (0)
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