想い出。
おはようございます。
雨から始まった10月28日土曜日です。
今日は大安の様で、結婚式の多い日だとラジオで話していました。
そういえば、バス停で訪問看護ステーションの〇〇さんがおめかしをして立っていました。きっと結婚式に出席するんでしょうね(^^♪
そして今日明日が志免町の商工会まつりです。
シーメングランプリがあります。
志免町の麺NO1を決めるコンテストです。
さて今年のNO1は?..
そしてもう1つ。
母校である田川高校の100周年事業があります。
実は私の代が当番期である為、本来であれば行かねばならないのですが、仕事と家の事を優先しました。
同級生のみんな、ごめんなさい。
同級生たちはどう見ていたかわかりませんが、私の高校生活は苦しい..そんな時期でした。
甲子園に出たい! 甲子園で野球をしたい!
母の母校でもあるし、母の期待もある。
合い混じった心持の中で猛勉強をして入学した田川高校。
直ぐに野球部に入部しました。
3年生は、甲子園経験者の先輩です。
威厳がありました。
怖い..
そんな想いすらする様な威厳でした。
練習が終わり、田川高校野球部の伝統を先輩方から教えて貰います。
教育担当の先輩がいまして、それはそれは厳しい方でした。
朝は早くから夜は遅くまで..
家に帰ったら食事・お風呂でバタンキュウです。
成績も落ち、日々、どうやって毎日の疲れをとるかがポイントでした。
それからというもの、家に帰ったら野球の練習をしますので勉強が出来ません。従って、授業中にしっかり聞いて・学んでモノにする。そういうスタイルにだんだんとシフトしていきました。
高1の冬。
過酷な体つくりの練習の中、右肘が動かなくなりました。
いよいよパンクをしてしまいました。
『野球は無理だと言われました。手術をします。野球部を辞めさせて下さい』
そう申し出、辞める事になりました。
『練習がきついから辞めるんだろう』
そう言った先輩がいました。
とても悲しい言葉でした。
その後、福岡の薬院にある逓信病院で手術・入院・リハビリを行います。
そして田川へ。
そこからは記憶がありません。
部分的にあるのは、リハビリをしている姿です。
どの様にして通学し、過ごしていたか・・ 記憶にないのです。
記憶が戻ってくるのは、2年の秋、これ以上のリハビリはもう無理。
と言われた時の事でした。
陸上グランドから野球練習場を観ています。
『ユニフォームを着て野球をしている。羨ましいな~。もう一回やりたい。そうだ、マネージャーになれば皆と一緒に出来るんではないか?マネージャーでなくても、一緒に練習だけでもいいから出来るんではないか?』
そう浮かんできました。
そしてそのまま、伊藤先生の下に走り、
『先生、野球部に入れて下さい』
と頭を下げて頼んだのです。。
今日はここまでにしておきます。。
このまま書くと、とっても長くなりますので。。
皆さん、今日も充実した1日をお過ごし下さい。
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