徒然なるままに。

おはようございます。
今日も良い天氣になりそうですね(^^♪
今日、3月28日水曜日は、利用者さんのFさんとの約束の日。
1年越しの約束を守る日です。
きっと楽しみにしていると想いますので、笑顔やわあ..という歓声があがる事を楽しみにしています。

先週、野菜を食べていましたら下唇を噛んでしまいました。するとその後口内炎の様な状況。
花粉症の薬を飲んでいますので、ユル棒を使ってスリスリしても免疫力の回復も遅い。。
じっと辛抱の日が続きましたが、今日になってようやく痛みが軽減されてきました。
今朝、ご先祖様にも感謝の氣持ちをお伝えしましたが、普通がいかにありがたい事か..
当たり前の様に出来ている事に、心から感謝します。
最近、食べるスピードがまた上がっていましたので、ゆっくり食べなさい。
と指摘をして頂いていたと想います。
氣をつけたいと想います。

その
当たり前の様に出来る事のありがたさ。
ですが、これは本当に自分に言い聞かせておく必要があると想います。
私の場合、右足が8cm短い為、歩行や体のバランスをとるのに苦慮しています。
今は何とかバランスがとれているから動けるのですが、もしこのバランスが崩れたら、車椅子生活になるかもしれません。自由に自分でどこにもいけなくなるかもしれない。
そう想像すると、何と今がありがたい事か..

ただ1つ言えるのは、その当たり前の基準が人によって違うという事です。
私の当たり前と、Aさんの当たり前。妻の当たり前。これは違う。
だから、その当たり前を受け入れないと関係性が難しくなります。

わが家の場合、
私は、開けたドアは閉める。が当たり前だと想っています。
妻は、開けたドアは開けておく。が当たり前だと想っています。
全く正反対。
もし一方が、
『俺の・私の 当たり前に従って』
と言い出すと一緒に暮らす事が出来ません。
それはそれで尊重しないと関係性が崩れます。
忙しくしている時にいちいちドアを閉めていたら動線を塞ぐ事になるので、ロスタイムを創る事になる。
これは忙しい朝の主婦としてそうだと想います。
そこで私が何か自分の主張をすると関係性が破たんする。

もしこれが職場だったり、社会だったりするとどうでしょう?
もっともっと受け入れる事が必要かもしれませんが、対象者が多くなる時は、その逆で、共通する一を模索する事を主にすべきだろうと想います。

現在、いよいよ最後と言われている行政や医療介護福祉業界のシャッフルが始まりました。
これは時代の趨勢上、さけて通るわけにはいきません。
私が社会人になって就職した住宅業界については、もう数十年前にその時を迎えており、一度経験をさせて頂きました。
そのつたない経験からすると、そのシャッフル期に特に大切だと思ったのは、この当たり前に関する事でした。

当たり前が違うから..という事で、突いたりケナしたりするのではなく、互いに受け入れ合える共通の一を見出しながら前に進める事から始める必要があると思ったんです。
そして前に進み始めると、様々な違いがわかってきます。
その時に、それまでの関係性をテコにその違いを認め、受け入れ合う姿勢が大事だと想います

今、私たち笑老ライフ研究所の事務局は、みんな本業を持ちながらこの活動を行っています。
最初は業務だと思って始めた人もいるかもしれません。また今でもそういうスタンスで関わっている人もいるかもしれません。
本業で忙しい人で構成されているがゆえ、今、この時期が正念場になります。
今期も少なくなりました。
目的実現の為に掲げた今期の目標。
一歩でも目的達成に近づけたいです。
その為に、今、私たちは再度当たり前を見つめ直し、初心に立ち返り、この正念場を乗り切る必要があると想っています。

みんな、チェスト!

Filed under: スタッフ日記 — admin 7:31 AM  Comments (0)
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