おめでとう(^^)/ 新しいいのちの誕生(^^)/
おはようございます。
令和元年10月22日火曜日の朝を迎えました。
爽やかな天候です(^^♪
今日は、即位の礼ですね。こういう儀式があると、区切りがついて、いよいよ令和が本当に始まるんだな・・ と思います。
天皇皇后陛下は、私と年齢も近いので、いよいよ自分達の世代が責任を持って国の運営に携わらないと・・ と思います。自分に何ができるか?その確認をする日だと言えるのではないでしょうか?
そんな事を考えていると、あるニュースが飛び込んできました。
それは
「電車の中で出産する」
という出来事があったという内容です。
出産はいつくるか わかりません。
そんな中、電車の車掌さんを含め、駅員さん達の対応が迅速だったようで、母子共に元氣だそうです。
これにより電車が遅延をしたそうですが、街頭インタビューの声を聴きますと、新しい命がぶじに誕生した事がおめでたいので、遅延については問題ではない・・ という内容のコメントでした。
今でこそ、出産は、産婦人科or自宅で行いますが、昔は、この様なケースが多かったと聴きます。
私が最初に関わったデイサービスセンターでは、毎月通信誌を発行していました。
そのデイサービスでは、誕生日を、その方を称える日と位置づけ、配偶者の方と一緒にお見え頂き、化粧やネイル等、ピカピカになって頂き、ご家族からのお手紙を代読し、その方を心の底から称えよう(^^)/という内容でした。
ある5月、余命がそんなになかったFさんの誕生会でした。
私達からの称える儀式が終わり、Fさんからのコメントが・・
これだけは伝えておきたい。私は残りが少ない。あなた達若い人に、ぜひこれだけは伝えておきたい。
そんな言葉から始まりました。
私はそのお話を聴きながら、
ご利用者の皆さんは、皆さん、自分の人生を振り返り、若い人たちに伝えたい事があるんではないか?自分の生きた証を残したい氣持ちがあるのではないか?
そう想い、その通信誌で
『この人を』
というコーナーを始めたんです。
すると、利用者の皆さんが、私も取材してくれ・・ 私も・・ となったようで、とても心が熱くなった事を覚えています。
そのコーナーに、橋本操さんが登場した回でした。
橋本さんは第二次世界大戦の際、満州にいたそうです。戦争が終わり、日本に引き上げる際、列車に乗り、早く船に早く船に・・ と追手から逃げる為に必死でした。
その列車の中、産気づいた1人の女性。
橋本さんは生まれて来る命を取り上げ、無事に出産ができました。
港に着いた際、『この子を大事に育てて下さいね』とお母さんに伝え、日本に帰りました。
それから数十年後、福岡は姪浜で仕事をしていた時、アルバイトの人達も含め、みんなでお弁当を食べていたそうです。
その時、新顔のアルバイトさんの顔をみた橋本さんが、その方に聴きました。
お兄ちゃんは、どこの出身なの?
僕は、どうも満州の方で生まれたみたいです。
へえー 叔母さんも満州にいたのよ。
そうなんですか・・
僕は、満州で生活をしていない様なんですが、満州で生まれただけみたいなんです。
それも列車の中で・・
ええ・・ 叔母さんは、満州の列車の中で生まれる子供をとりあげたのよ・・
ええ・・ もしかして・・
そうなんです。このアルバイトの子が、橋本さんが満州でとりあげた子供さんだったんです。
この話を聴いて、鳥肌が立ちました。凄い縁です。ものすごい・・
こういう現象には何かの意味があるはずなんです。その意味が何なのか? その後の人生を観なければわかりませんが、きっとそこには意味が・・
因みに橋本さんの場合、その子が、ずーーと支えてくれた様です。それも橋本さんが一番きつい時に・・
電車の中で昨日生まれた赤ちゃん。
きっと何かの意味があると思います。
どうぞ、逞しく育って下さい。
そして、多くの人に助けてもらって生まれ、頂いた大いなるパワーを、こんどは日本の為に・・ 世界の為に・・ 地球の為に発揮をしてください。
パワーのある命の誕生に かんぱい(^^)/
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