10月10日
おはようございます。
令和3年10月11日月曜日の朝を迎えました。
昨日の10月10日は、孫娘の誕生と叔母の死去があった日です。
あれから4年の月日が経ちました。
孫の誕生(^^)/ に喜び、仕事終わりに病院に駆けつけました。それはそれは嬉しい出来事です。
病院につき、孫娘や次女の様子を確認できた後に電話がなります。
なんと、叔母が亡くなったと..
それから家に帰り、身支度をして叔母の家に向かいます。
人生初の出来事でした。
このことにどういう意味があるのでしょうか..
叔母には1人息子がいます。私の従兄です。私より年上で60歳を過ぎています。それも独身です。叔父は認知症で施設に入っていましたから従兄1人でした。
急ぎ駆けつけねば.. と思い急行した記憶があります。
なぜ同じ日に命の誕生と終わりがあったのか?
先に命が誕生しました。そして命が終わりました。
私には、わかったようで、まだわかっていません。このこと自体にどんな意味があるのか.
ただ言えることは、命は生まれたり、亡くなったりしますが、その方との思い出はなくなりません。叔母の命が亡くなっても、叔母との記憶はハッキリ残っています。
特に、人生最期の時が近づいていると感じていた叔母は従兄のことを心配していました。
ある日、私と妻が叔母から逢いたいと連絡があり、入院している病院に行きます。
従兄のことでした。
従兄のことを頼む。そのことです。
叔母の気持ちは、同じ親としてよく伝わりました。
その叔母の気持ちがずーーーと心に残っています。
こうやってブログを書いていると、もしかしてこういうことかな?とある思いが湧いてきます。
それは、今 という時間を大切に生きなさい。という教えなかな? それを私に伝えて頂く為に、生死を記憶に残るようにして伝えて下さったのかな.. そんな想いになりました。
生きている孫娘との思い出は、孫と私が生きている間はつくる事ができる。しかし、いつどこで何が.. ですから、1回1回のチャンスをしっかり活かさないと..
叔母ともまさにそうでした。
人に命に限りがある。
だから命を燃やし、今を大切に生きる事が、私が向かうべき道を歩むことにロックオンすることに繋がっている。
それを体現し、教えて頂く為の10月10日だったのだろうか..
そんなことを考える朝です。
今週もよろしくお願いします。
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