運転からの卒業。親と子の関係性。
おはようございます。
今朝も大雨・雷雨状態です。
6月最後の朝は、雷ゴロゴロで氣愛が入りました。
先日のニュースで、75歳以上の方の免許更新で認知症の疑いがあると思われる人が約57000人いるという内容がありました。
私はこのニュースを聴き、ビックリしました。
私の場合、短期記憶が難しくなり、どんどん忘れて行く母とのやりとりで、難しいと感じた事がいくつかあります。
最初に難しいと感じたのは、自分がおかしくなってきているのでは?認知症かもしれない?そういう疑いを持っていない為、病院に行き、診断をして頂く事に対する拒絶でした。従って、同居をしようか?と話をしても拒否反応がとても強かった。。
その上に重なって『車の運転からの卒業』という難題がありました。
これはとっても難しい。。
母が1人で住んでいた地域は、バスも数便。買い物は、歩いて片道15分~20分の場所にあります。郵便局や銀行も、同じくらいの位置にある為、仕事等で車をいつも使っていた母からすると車の運転から卒業する事は全く考えていなかったと思います。また、定年退職をしてからは読み聞かせのボランティアやフラダンス等、仲間と一緒に外に出かけあれこれ行っていたので車は欠かせないモノであり、車から卒業をするとは、今までの生活や人生を絶つ事の様に感じるんだと想っていました。
『車をとったらかわいそうだな~』
心の中でいつもそうつぶやく自分がいます。
そんなある日、叔母から電話があります。
『剛君、もうむずかしいんちょうやろか?』
その一言がききました。
早速母の下に行きます。
『お母さん..』説得をしますがなかなか聞き入れてくれません。
『どうしたらいいんだろう?』
どうしたらいいかわからなくなった私は、財部隊長のもとを訪ね相談をしました。
『説得しようとしているからですよ。納得しないと動きません。自分のお腹を痛めて生まれてきてくれた最初のお子さんでしょう?それも男の子。とっても嬉しくて可愛かったはずですよ。そんな可愛い可愛い息子から、真剣に自分の為を想って言ってくれているんだと想えば必ず卒業をしてくれます。最後は、土下座をして頼みなさい。』
そう教えて頂きました。
今度は、妻も同席をしてもらい、一緒に行きます。帰りに母の車に乗って帰るつもりでいきました。
すると最後に.. 鍵を渡してくれたのです。
いま思えば、それからは、症状が進んだようにも思います。
が、あのまま車に乗っていたら、間違いなく事故を起こしていると思いますし、もしかしたら事件を起こしているかもしれません。
頑張ってきた母の晩節を汚す事になっていたかもしれません。
車を持って帰ってからの1ヶ月、1日10回ほどの電話がありました。
ドロボウー!とののしられましたが、踏ん張って良かったと想っています。
車の運転から卒業をしてもらう事は大変です。
だからこそ、皆で力を合わせて、互いを助け合いながら
『困った時はお互い様』の精神で、自分の経験談を笑老ライフ研究所に寄せて頂けませんか?
『私は、こうやって車の運転から卒業をして貰いました。』と。
そしてこの経験をまとめて、全国いや世界でこの問題で悩んでいる人達に発信しましょう。
同じ人間であり、親と子の関係性の問題ですから、世界共通です。
自分の経験で困っている人の役に立ちましょう。
どうぞよろしくお願いします。
では6月最後の今日、どうぞ、最良の日になさって下さい(^^)/
今月もこのブログをご覧下さり、ありがとうございました。