人間見聞録・・役割
おはようございます。
今日の福岡地方は、久しぶりの曇天で、比較的にしのぎやすい気候になっています。
さて今日は、役割・・について書きたいと思います。
人には役割があると思います。言換えれば、存在意義でしょうか?
自分が感じている役割と自分が憧れている役割と人が見た自分のタイプ・役割があるんではないか?と思います。
「兄ちゃんは、〇〇だから、〇〇な役割があるんよ」と妹から言われた事が何度かありました。自分ではそう思わないんですが周りから見ると違うんです。
また、自分が伝えたい事が相手に伝わらない。ここにも役割・存在の認識の違いがあるのかもしれない・・そう思います。
私は、自分の心に正直に生きたい。それが出来る人間になりたい。そんな切なる思いでこのブログを続けています。だから最近、自分の事が好きになってきています。
しかし、こうなってきているからと言って、自分を自分以外の人に伝えきれているか?と言うと、まだまだの様です。一例をあげてみます。
例えば、私が子供に対して「靴を揃えなさい。」と指示口調で言ったとします。すると子供は、「ううん、わかった。」そう言うとします。何でそんな返事の仕方になるのか?と思い、指示口調ではなく、「靴を揃えようか、靴を揃え整頓できた状況を見ると、心も綺麗になった感じがするだろう。そういう心持ちだと自分にも人にも優しくなれるよね。」と目的とその成果について、私の感じる事に対し共感して貰えるように話したとして「そうだね。靴を並べてみる。」と自分の意志で並べたとします。
この結果の違いはなんでしょうか?
前者では、父が、子供に「こうすれば、〇〇にとってきっとプラスになるよ。」と云う事を伝えたいんですが、前置きを省略したり、形から身に付けさせる事を押し付けたりです。一方子供は、父親に対する存在の理想と現実、好きな所と、嫌いな所があり、「私が思うお父さんになって」と云う思いがどこかにある中で父の話を聞いています。だから、その前提の中で一方的に言うと伝わらない・・そうなるんですよね。
しかし、共感してもらおう。と思って接した場合は、伝わる場合がありますね。
自分が、自分の役割だとか存在意義を理解し、それが、他人から見た私と同じ土俵であれば、上手く伝わりあうと思いますが、それが違った場合は、中々伝わらないと思うようになりました。
子供から見た私の存在、妻から見た私の存在、母・兄妹から見た私の存在、職場の仲間から見た私の立場と存在・・そこを私が理解してそれぞれの人と一致した状況で生きている場合は、伝わるんだと思います。しかしそれが出来ていない場合伝わらないんだと・・
今日も修行の1日が始まります。がんばろう。。
日々勉強ですね。。これは、死ぬまで続くんだろうな〜
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