人間見聞録・・通じるイチ(一)

通じるイチ(一)。

誰もが共感し、共有したいイチ(一)。

これってあるだろうか?

日本に住む私達に通じるイチとは何だろう?

私は、学生時代、1人でアメリカに行った。
家族のオリンピックを開きたい!と想い、長嶋茂雄さんにその旗振り役をお願いしたい!・・そう願い、高校の野球部の先輩であった故アイク生原先輩(当時、ドジャースの会長補佐をされていた)にその話を聞いて頂き、長嶋さんを紹介して頂こうという決意だった。英語もままならない状況と飛行機の予約のみで出発したアメリカ旅。
ドジャースのキャンプ地であるベロビーチに向け、怖る怖る第一歩を踏み出した。

ウエストパームビーチに到着後、バスでベロビーチに向かう。その際、日本人らしき人間がバスに乗り込んできた。年の頃から言うと私と同年代くらいであった。
『ここまで来て日本人と会うのは・・』と思った矢先、『日本人の方ですか?』と日本語で話しかけられた。『そうです。』と答え、暫く話をしていたが、現地に来て3日程しか経過していなかったので、日本人と会えて嬉しい・・とまではいかなかった。しかし先方は、長く旅をしている様子で、久しぶりに日本人に会えたとの事だ。とっても嬉しそうで、初めて会った対応ではなく、ただ日本人と言う事だけで問答無用に仲間・・という感じだった。

ベロビーチでは、メッツとのオープン戦を見学させて頂いた。試合が始まる前、アメリカの国歌を皆で斉唱する。誇らしげに歌うその姿は、日本では感じる事の出来ない光景だった。誇らしげに国歌を歌うその姿、その雰囲気に飲まれていく自分に気がつく。。
22歳の私は、『こんな風景、日本では見ない。なんでアメリカ人はこんなに誇らしげに国家を歌うんだろう?』と思った事を今でも忘れない。

単位が国・・となれば、通じるイチもより人類に共通するイチになるだろう・・ 単位が市町村・・となれば、人類・・という視点もあるだろうが、生活における・・という事になるのだろうか?? 

単位が会社・・となれば、どうだろう。 生活だろうか、理念だろうか、はたまた違う何かだろうか? 

何でチームが組めるか?それが大きなポイントになる。

『甲子園でプレーをし、全国優勝したい!』 ・ 『互いの両親、家族を大切にし、何があっても支え合い、生涯、添い遂げような・・』

イチが明確で、互いに共有できた時、チームとなり、チーム力を上げる為に切磋琢磨や本音で語りあえ、成長を実感できるからこそ前に前に進める。そこには信頼関係という関係性があり、身近だからこそ構築できる関係性だと思う。。
しかし、その関係性を構築出来ない事でこれを共有できていない場合、チームに成り得ないだけでなく、いがみ合いのエネルギーが働き、我・・が突出し、身を守る事だけに終始する事になり、力の分散、破れ去る・・という結果になる。。

常に意識していたい事は、通じるイチ(一)である。

正という字。これは、一に止と書く。 

このイチが共有しあえた時、1+1が3にも4にもなっていくんだと思う。決して、1+1が0にだけはしたくない。

そう思う。。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 8:22 AM  Comments (0)
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