・・伝え 伝わる・・ パート1
私は、『伝える事』にまだ自信がありません。
高校を卒業するまで野球一筋だった私・・右肘の故障により、左利きに変え、野球をしましたが、プロで通用する自信がなかったので、念願だったプロ野球を目指す事を断念しました。
大学時代は、人生の目標を探す旅をしました。その中で、何も出来ない自分が居る事に気づき、いろんな事に挑戦しようとした矢先、交通事故で、入院生活、そして、身体障害と、絶望の淵をさまよいました。しかし、『人生七転び八起き』『受け入れる事が大切よ』っとその当時からお付合いをしていた妻よりの一言を貰ったのです。その時、パッーと目の前が明るくなり、素直に『そうだね』と受け入れる事が出来ました。それからというもの、自分を見つめ直し、行いたい事との出会いを模索しました。
『家族のオリンピックを開きたい!!』そう思った私は、自分の力だけでは実現できない。長島茂雄さんにお願いし、旗振り役をして頂こう!!と思い、長島茂雄さんと、どうしたら出会えるか?を探しました。以前、読売ジャイアンツが、ベロビーチでキャンプをはった事があり、その時、私の高校の野球部の先輩でドジャースの会長補佐をしていた『アイク生原』さんが、長島茂雄さんと親しく話をされていた事を思い出し、生原先輩にコンタクトをとりました。
暫くして、『ベロビーチで待っているから・・』と言う返事を頂いたので、早速、渡米の準備を行い、遂にその時を迎えたのです。
自分に自信はないが、やりたい事はある私。それを実現させる事に一所懸命になっている私。その部分は、自分を信じる事が出来ていました。しかし、初めて、1人で、アメリカのベロビーチまで、貧乏の旅に行くのですから、出発当日が近づくにつれ、緊張してきた事を覚えています。
当日、福岡空港に到着し、大韓航空機に乗る為に移動するのですが、清水の舞台から飛び降りる位、第一歩を踏み出す時に、勇気がいったのも覚えています。
飛行機に乗ると、外人ばっかり・・・スチュワーデスも英語・・・機内食が出る際、どちらを選ぶか・・緊張と、英語がわからず、結局わずかな食と飲物しか得ることが出来ませんでした。
続きは、明日また・・・
まだコメントはありません。