人間見聞録・・・松本さんから学ぶ

今日は、沖縄の全戦没者慰霊祭が行われています。戦争の無い、平和な日本を考えた時、沖縄の皆さん、戦争でお亡くなりになられた皆さんのお陰である事を、強く心に刻まないといけないと、自分に言い聞かせました。普天間高校の女学生の詩の後に、管総理大臣が来賓挨拶をされていたのをラジオで聞きました。何と言っていいか・・言葉にならないですね。

そのラジオを聴きながら、信号停車をしたので、前の車と後ろの車のチェックをしましたら、前の車のナンバーが、1111.後ろの車のナンバーが、333.不思議な感じ・・・

話は変わりますが、高校で完全燃焼し、目標が全くなくなった私は、両親のお陰で、大学に行ける様になりました。この4年間で、目標を見つける事がその理由でした。

大学に入り、今まで野球しかしていない私は、何も出来ない人間である事に気づきました。野球以外、ほんとにな~にも出来ないのです。一番ダメだと思った事は、人の顔をみて話が出来ない事でした。特に女性の顔は見れませんでしたし、見たとしても、直ぐ顔が赤くなる状態でした。

そんな自分を変えたい!!と思った私は、いろいろアルバイトを行いましたが、自分を鍛える為には、『このバイトだ!!』と思うバイトの面接を受け、とうとう念願の東急ホテルアネックスで、バーテンのアルバイトをする事になりました。これは、石井マネージャーのお陰です。バーテンは、カウンターに入り仕事を行いますので、どうしてもお客様と会話をしないといけません。堀口さん(同じバイト先のお姉さま。私より、9つ上の才女です)にいつもいつも助けて頂きながら、何とか話ができる様な自信がつき始めたその矢先、そのバイトの帰りに交通事故に会いました。

1つ1つ積み上げてきていただけに、また最初からやり直さないといけない・・両親に心配をかけるだろうな・・・と心身ともに大きな事故でした。

救急車で病院に運ばれ、手術も行われ、徐々にリハビリを行う状況になった頃、夜が退屈で、ロビーに行った際、スポーツ刈りをしているいかつい叔父さんが私に話しかけてきました。それが松本さんです。松本さんは、板前さんで、とても頭のいい、原理原則に基き生きている人でした。

私と松本さんの交流は、お互い病院を退院し、松本さんが、当時東芝クラブの支配人をしていらっしゃったので、そこに伺い、いろいろと教えて頂く・・という付き合い方でした。

私が松本さんのお宅に伺うと、いつも質問から始まります。『鷹尾、〇〇と言う出来事を、お前ならどう考えるか・・』『松本さん、わかりません。』『鷹尾、お前は、ほんとにバカやな~もっと勉強せい・・』この様にいつもいつも叱咤激励をして下さった後、政治・経済・国際情勢等々・・あらゆる分野について、松本さんなりに分析をし、私に解説をしてくれました。その際、物理を勉強していた松本さんは、私に視点の置き方や考え方についていろいろと教えてくれました。出来の悪い弟に教えるように、丁寧に・・・

それから松本さんとのお付合いはずーと続きましたが、ある時、突然、私の許可も無く、勝手に亡くなられました。残念でなりませんでした。

松本さんが、私に教えてくれた事、私にくれた言葉は沢山あります。ほんとに気持ちのこもった言葉をくれました。その中で、紙に書いて下さった言葉をご紹介したいと思います。

『成せばなる。成さねばならぬ何事も。成さぬは、人のなさぬなりけり。』

今、私が松本さんと出会ったころの、松本さんの年齢になりました。私が、松本さんにして頂いた様に、私も後輩に、智恵を伝えていく役目があると思います。松本さんはきっとそれを期待してくれていると思います。

松本さん、見ていてください・・頑張ります!!

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 1:48 PM  Comments (0)
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