人間見聞録・・sodateru

皆さん、おはようございます。

今日の福岡地方は、晴れで、少々熱くなるかな〜という空模様です。

さて今日は、育てる・・と言う、凄いタイトルをつけてしまいました。

私は、交通事故の関係で、右足が8cm程短く、将来を考えると、50歳位で車椅子生活になるのでは・・と思い、それまでに3人の子供を成人させると決め、23歳で結婚し、24歳の時に第一子を授かる事が出来ました。それから2人目を授かり、3人目を授かり、50歳までには3人の子供が成人する様になります。

今、第一子を授かった時の事を振り返ると、恐ろしくなります。よくもまあ〜と思う位、子供が子供をつくったなあ〜と思います。

皆さんは、育てる・・というと・・と質問された場合、どの様に答えますか?

私は、こう考えます。

私の勤務している社会医療法人栄光会の理念の1つに、「癒し癒される関係の中で日々生活しましょう」があります。これは、一方が、一方に対し、一方的に何かをする・・と言う事ではなく、一方の心が一方にも通じ、双方が理解し合い、お互いがお互いの心を癒しあえる関係になると言う事です。

私は、育てる・・では、この哲学が大事だと思います。育てる・・では、一方的な関係では出来ません。あくまでも主体が相手にありますので・・

ここで、とある事例を紹介します。

Aというケアプランナーがいます。その方は、ケアマネジメントを行う立場にあると共に、その部署の責任者でもあります。その方の部署には、総勢7名の部下がおり、比較的年配の女性が多い部署になります。従って、母として子育てをしてきた方が多いのです。

この方は、元来の性格が、好奇心旺盛で、出べそな位、いろいろな所に顔を突っ込みたがります。そして、私が、私が・・と云う面があり、ゴリゴリアピールしてくる人です。駐車場の車の位置も、毎日コロコロ変わります。

そんなAさんが、ある方々のケアプランを担当しています。ここにBという責任者の方がいて、AさんとBさんは、まさに「癒し癒され」の関係の中で仕事をする必要性があります。この二人がそういう関係でないと、そこで働くスタッフやお客さんに、多大な迷惑をかけることになります。

このお二人の関係は、最初の頃は良かったのですが、段々コミュニケーションがなくなっていく・・そんな状況になりました。

Bさんの性格は?と言いますと、職人肌・姉御肌で、能力がずば抜けて高い人です。でも、小心者で、深い母性の持ち主だと思います。

自分が中心にいないと気が済まないAさんと、筋道や内容にこだわるBさん、何故、コミュニケーションがなくなったんでしょうか?

それは、双方に、「癒し癒され」の哲学がなく、・・我・・欲・・のみの生活をしているからだと思います。お互いに、このままではいかん・・と思っていたはずです。しかし気がついていながら修正できない。これは我欲そのものでしょう。これでは、Aさん、Bさんのもとで働いている人が可哀想でなりません。きっと、育てる・・事は、全然出来ていないと思います。

育てる・・自分自身が、自分の我欲を捨てる努力をし、何に生きるか?が明確になった時点で、自分の中に「癒し癒され」の哲学がスーっと入ってくると思います。そういう状況になってはじめて育てる・・と言う事のスタートラインに立てるのかなあ〜と思います。

良い指導者、人望のある指導者は、一様に、自我ではなく、〇〇の為に・・と言い、自分自身と戦いながらその目的実現に向かい歩を進めています。その自分に対する姿勢に、指導される方は尊敬の念を持ち、こういう人から学びたい・・と思うようになり、双方の関係性が、同じ方向にある「癒し癒され」の関係へと成熟していくんだと思います。

育てる・・これは、自分の生きる姿勢そのものであり、その有様が、自分を育て、人を育てる事に繋がっている。そう思います。

生意気な事を書きすみません。。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 8:50 AM  Comments (0)
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