・・ 伝え 伝わる ・・ パート5

今日はいよいよベロビーチに到着する日です。

朝から、バスターミナルに向かい、ベロビーチに停車するバスを探します。だいぶん英語も聞きとれる様になり、発音が通じるようになってきました。この地まで来ると、さすがに日本人はいない様で、東洋系の人すらみかけません。その事が、なんだか嬉しくて、アメリカのいろいろな面がここでは見れるのではないか?と思ったり、頼る人もいない中で、何とかやってきている自分をちょっぴり、誇らしげに思っている時期でした。

ニューヨーク行きのバスが、ベロビーチに停車する事がわかり、そのバスに乗る事にしました。

バスが到着し、バスに乗り込み、自分の座る場所の確保をしようと、バス内を見回したその時、東洋系の顔が見えました。【ここにも東洋系がいたのか・・・】と思い、ここまで来て東洋系の人とは、話したくない・・と(初日は、全く違う事を思っている人が、こうも変わるのです)そそくさと後ろの席に向かいました。

すると、その東洋系の男性(私と年が変わらない位でした)が、『日本人の方ですか?』と話しかけてきました。どうやら私は、日本人に見えたらしく、内心ホッーとしましながら『そうですよ~』と。『どこまでいくのですか?』『ベロビーチまで・・』『そうですか。僕は、ニューヨークまで』と表面的な会話を行いました。その方は、卒業旅行で、アメリカの南部から東海岸をバスで移動する旅をしてる。との事でした。

お互いそこで別々の席に分かれ、いよいよベロビーチです。その日本人に会釈し、バスを降りました。そこからドジャースタウンまでどの方向に向って行けば良いのか?皆目検討がつかない準備状況でした。

バス停の付近にいた人達に、ドジャータウンには、どちらに向って歩けばいいか?を聞きましたが、ここから2時間30分程かかる。との話でした。『ギョー』とする中、貧乏な私は、歩くしかありません。リュックサックを背負い、熱い熱いリゾート地のベロビーチ。そして、輻射熱で熱気ムラムラの道路脇を、ひたすら歩く事になりました。

汗をふきふきただひたすら歩きます。途中、『ジャップス』といい、指を刺して笑っている集団もいました。私の事を、面白可笑しくあざ笑っていたのでしょう。その時、『ジャップス』と言う言葉の意味がわかりませんでしたが、後々その意味がわかり、凄い差別社会である事にあらためて気づかされると共に、怒りがこみ上げる想いでした。

歩けども・歩けども・・・次の瞬間、看板郡が見えてきました。『あっ、ドジャータウンじゃないか?』大粒の汗を流し、今にも倒れこみそうな心身状況だった私が、その瞬間走りだし、一目散にその看板に向いました。

すると、そこは『ドジャータウン』でした。『やったー!!』遂に俺はここに来た。やっと、『家族のオリンピックの話が出来る。やっと大リーグが見れる。憧れの生原先輩に会える』とここまで歩いてきた疲れがどこかにフットブ感じでした。

次回、いよいよ生原先輩に会えます。私にとって夢の2日間となります。次回も、お付合い下さい。

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・・伝え 伝わる・・ パート4

3日目、とても印象に残り、少しづつ、自信が付き始めたメンフィスを離れ、タンパに向いました。この日の日程は、タンパに行き、タンパからウエストパームビーチに移動し、そこで宿を探し、1泊するという予定です。メンフィスで少々自信がついたので、この日は、緊張するというよりも、何が起こるか楽しみな心理状況だった記憶があります。

メンフィスからタンパへ。タンパでは、空港内でチョロチョロし、そこから、小型機に乗り、ウエストパームビーチへ移動です。まず、自分の席を探し、『ここだ!!』と席に座りました。席は、二人掛けで、小型機ですので、少々狭い感じではありました。当時の私は、177cm、68kgと、理想的な体系をしてましたので、少々狭くても、苦になるようなものではありませんでした。

そう思っている矢先、大男がのっしのっしと飛行機に乗り込んできました。私の2倍位の大きさがあるのではないか・・・と思うような人物でした。この人が横だといやだな~と誰しもが思ったと思います。次の瞬間、ビンゴ!・・。なんと私の横が、その人の席だったのです。それも窓側・・いったん座った席を立ち、大男を窓側に向い入れ、彼がイスに苦しそうに座り、シートベルトを閉めた後、私が席に座りました。

何ともきゅーくつです。おまけに息が荒い。酸欠しそうな感じです。おまけに飛行機が傾いているような・・・

テレビでしか見たことのない、アメリカの大男に実際会い、その大きさにビックリです。早く空港に着け、早く空港に着けと祈りながらの旅は、つまらないものでした。

しばらくして、飛行機が揺れ始めました。小型機であったので、気流に敏感だったかもしれません。飛行機が揺れる度に、隣の大男が私にもたれかかりやら、ぶつかりやら・・・申し訳ないと思ったのでしょうか、『ソーリー』と小さく可愛い声で謝ります。なんだか気の毒い気持ちになってきました。

体が直ぐ傍にせまっていたので、横を見ると顔を付け合せる事になる為、彼の手を握り、『大丈夫。大丈夫。』と言う気持ちを込めてサインを送りました。その後、彼が手を握り返してきた事で、・・気持ちが伝わったんだ・・と思いました。

無事、ウエストパームビーチに到着し、彼とは、笑顔で『バイバーイ』をしました。何ともすがすがしい気分だった事を思い出します。その勢いで、リゾートの街ウエストパームビーチでは、気持ちが大きくなり、ホテルに泊まる事にしました。

いよいよ明日は、バスに揺られて、ベロビーチ到着。待ちに待った生原先輩に会える日です。どんな出会いになるか、少しではありますが、自信の付き始めた私は、早く明日よ来い!!と言う気持ちで、早々に寝る事にしたのです。

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・・伝え 伝わる・・ パート3

2日目、朝早くモーテルの従業員(メキシカン)に空港まで送って頂き、いよいよメンフィスへ出発です。この日は、メンフィスまで行き、メンフィスで1泊する予定になっています。

飛行機に乗り、あたりを見回すと、アジア系は、私1人。また、年齢も一番若い様に感じました。リュックサックを1つだけからったアジアの青年が、何をしているのだろうか?と冷ややかな目で見られた事を覚えています。

飛行機がメンフィスに到着したのは、夕刻だったと思います。空港ロビーに移動し、次の日の飛行機のチケットの予約確認を行った後、いよいよ本日のメインイベント、『寝る場所と食事場所の確保』です。

またもや、地球の歩き方を開き、電話を始めました。

何とか通じるのではないか?と思った英語が通じません。また、相手が何を話しているか?聞き取れません。これはまずい・・・

その後、何件も電話をしましたが、相手の言う事を聞き取れず、途中で相手が電話をきってしまいます。今日は野宿・・・頭によぎりました。空港のロビーをでて、野宿できそうな場所を探します。しかし寝れそうな場所がありません。また、だんだん寒くなってもきました。空を見上げ、西の空に目を向けると、何とも美しい夕陽が・・・日本でみる夕陽と同じでした。その時、自分が情けなくなり、一粒の涙がこぼれそうになったその時・・・

『よーし、もう一度電話をしてみよう。それでダメだったら、潔く野宿をしよう!!』と決意しました。気合を入れて、どこに電話をするか検討し、『よーし、ここだ!!』と、ある一軒のモーテルを選びました。内心、恐る恐る電話番号を押し、ぷーと音が鳴り出し、またもや『よーし』と気合を入れ直した瞬間、『ハロー』という年配の女性の声が聞こえ始めました。

一言一言丁寧に話をしました。『どうか、伝わって下さい。どうか、私の英語を、私の気持ちを受け取って下さい。』と心に願いながら話をしました。すると、相手のおばさんも、ゆっくり・ゆっくりと言って下さりながら、私の英語を聞き取ろうと努力をして下さりました。そして、念願のokサインを頂き、そこに泊めて頂けるようになりました。

『やったー、やったー』 本当に嬉しくて、嬉しくて・・・

空港には、カーボーイ風のイケメン兄さんが迎えに来てくれました。モーテルに送ってくれている途中、とっても可愛い女性二人組みを、信号が赤の時にナンパしたり、なんとも愉快な兄さんでした。

モーテルに着き、いよいよおばさんとの対面です。顔を見た瞬間、マリア様の様な、人を暖かく包み込む雰囲気をもっておられ、私は、その方の手を握り、何度も『サンキュー』を言っていました。これが縁で、翌年の新婚旅行の途中、メンフィスに立ち寄り、嫁さんにもこのおばさんを紹介し、ここに泊めて頂きました。

・・伝え 伝わる・・ これが出来た時の喜びは、天にも舞い上がる様な気持ちになりますね・・・

この話は、まだまだ続きます。今後も貴重な体験をしましたので、明日以降、続編を書きたいと思います。

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・・伝え 伝わる・・ パート2

昨日の続きです。

韓国ソウル⇒ロサンゼルスまで、約10時間の旅を終え、LAに到着しました。現地は、まだ午前中の早い時間でした。

今回、この旅を企画した際、私にお金がなかったので、飛行機のチケットのみ予約しました。福岡⇒ソウル⇒ロサンゼルス⇒メンフィス⇒タンパ⇒ウエストパームビーチ⇒タンパ⇒メンフィス⇒LA⇒ソウル⇒福岡 です。1回1回予約の確認をしないといけないとの事で、LAにつき、ドキドキです。まず、英語が通じるか?です。かたことでしかしゃべれない・・発音はでたらめ・・どうしよう!!

地球の歩き方を片手に、まず、予約の確認をします。『セーフ』何とか英語が通じました。次に、今日泊まる宿舎の確保です。地球の歩き方をみて、中国人が経営し、日本語をしゃべる事ができるモーテルにTELをしました。すると、本当に日本語がしゃべれ、ひと安心。空港まで迎えにきてくれて、難なく到着。

しかし、ここからが大変。モーテルのママが、『ダウンタウンまで行っておいで・・1ドル10セントあればバスに乗れるから・・・』前の年にロサンゼルス五輪があり、折角だから・・と思い、ママの言う通り、行く事にしました。

バス停に着き、ダウンタウン行きのバスを待ちます。バスに乗ると、全く日本とシステムが違っていました。『次は、〇〇、お降りの方はお知らせ下さい。』と言うアナウンスはありません。自分の降りる場所の近くになったら、ヒモを引っ張り、ビーと鳴らす方式でした。バスには、南米系・アフリカ系・アジア系の方が乗っており、アメリカ社会を垣間見る事ができました。

バスを降り、ダウンタウンを散策します。地図もなく、バス停だけを覚え、フラフラと・・・すると、恐ろしい集団発見!『こわー』急に恐怖感が舞い降りてき、そそくさとオフィス街の方へ移動・・しかし何も見る所もありません。食事をしたいのですが、街中のレストランに1人で入る勇気がまだありません・・『もう夕方だし、モーテルに戻ろう』と思い、バス停へ。バスが来たので、そそくさと乗り込みました。乗り込んだのはいいのですが、外が暗くなり、目印にしていた風景が見えません。

『まずーい!!』どこでおりたら良いのかが、わからないのです。『冷静になれ、冷静になれ』自分に何度も言い聞かせました。すると、『発見・・・!!』ここだと思い、降りた場所が、全然違う場所だったのです。しばらく周囲を歩き、風景を探していたその時、目印にしていた建物が見え、『助かった・・・』と心をなでおろしました。とたんにお腹がへり、何も食べてなかった事もあり、コンビニでサンドイッチとビールを買い、暗闇の中モーテルに向いました。

途中、暗闇の中に、大きな男たちがたむろしており、その前を通らないと帰れなかったので、とっても緊張しましたが、堂々とその前を歩き、白目の視線をたっぷり感じながら、通りぬけていきました。

モーテルに着き、ママから『楽しかったろ』と言われ、『ぜんーんぜん楽しくなかった』と言う勇気がなかったので、『とっても良い経験ができた』と報告だけ行い、部屋へ・・・そのままバタンキューです。

2日目からは、とってもハードな旅となり、いよいよ ・・伝え 伝わる・・の話になっていきます。今までの話は、私の心が、自信のなさで閉じていたので、それが全くできていない話です。

この続きは、また次回・・

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・・伝え 伝わる・・ パート1

私は、『伝える事』にまだ自信がありません。

高校を卒業するまで野球一筋だった私・・右肘の故障により、左利きに変え、野球をしましたが、プロで通用する自信がなかったので、念願だったプロ野球を目指す事を断念しました。

大学時代は、人生の目標を探す旅をしました。その中で、何も出来ない自分が居る事に気づき、いろんな事に挑戦しようとした矢先、交通事故で、入院生活、そして、身体障害と、絶望の淵をさまよいました。しかし、『人生七転び八起き』『受け入れる事が大切よ』っとその当時からお付合いをしていた妻よりの一言を貰ったのです。その時、パッーと目の前が明るくなり、素直に『そうだね』と受け入れる事が出来ました。それからというもの、自分を見つめ直し、行いたい事との出会いを模索しました。

『家族のオリンピックを開きたい!!』そう思った私は、自分の力だけでは実現できない。長島茂雄さんにお願いし、旗振り役をして頂こう!!と思い、長島茂雄さんと、どうしたら出会えるか?を探しました。以前、読売ジャイアンツが、ベロビーチでキャンプをはった事があり、その時、私の高校の野球部の先輩でドジャースの会長補佐をしていた『アイク生原』さんが、長島茂雄さんと親しく話をされていた事を思い出し、生原先輩にコンタクトをとりました。

暫くして、『ベロビーチで待っているから・・』と言う返事を頂いたので、早速、渡米の準備を行い、遂にその時を迎えたのです。

自分に自信はないが、やりたい事はある私。それを実現させる事に一所懸命になっている私。その部分は、自分を信じる事が出来ていました。しかし、初めて、1人で、アメリカのベロビーチまで、貧乏の旅に行くのですから、出発当日が近づくにつれ、緊張してきた事を覚えています。

当日、福岡空港に到着し、大韓航空機に乗る為に移動するのですが、清水の舞台から飛び降りる位、第一歩を踏み出す時に、勇気がいったのも覚えています。

飛行機に乗ると、外人ばっかり・・・スチュワーデスも英語・・・機内食が出る際、どちらを選ぶか・・緊張と、英語がわからず、結局わずかな食と飲物しか得ることが出来ませんでした。

続きは、明日また・・・

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阪神タイガース 金本選手

阪神タイガースの金本選手(42歳)の連続フルイニング出場記録が、1,492試合で遂に途絶えました。この記録は、もの凄い記録だと思います。1年間で、プロ野球の公式戦は、多いとしで、確か144試合だったと思いますので、それにしても10年を超える期間、連続フルイニング出場記録には、敬意を凄く表したいと思います。

金本選手は、頭にデットボールを受けても、手を骨折しても試合に出続け、ヒットも打ってきました。そういう状況の時に、試合に出してもらえる選手である事が、本当に素晴らしいと思います。人間的にも、大変素晴らしい方で、周囲から尊敬される存在なのだろうと推測します。

・・・・ 何故、昨日金本選手の大記録が止まったのか ・・・・

今朝のラジオで聞いたのですが、今シーズンに入り、金本選手は、右の肩甲骨付近の怪我をしているようです。中々大変な怪我の様ですが、金本選手は、守備にもつき、打撃も行い、チームの優勝の為に、率先垂範で、引っ張っていました。しかし、全力で球を投げる事が出来ない。等、守りの面で、チームに迷惑をかけると判断され、自ら、先発メンバーを変えて欲しい旨を申し出たそうです。

・・・素晴らしい・・・

そこで、金本選手の交代選手として、昨日から出場した狩野選手が、いきなり、3ランホームランをかっ飛ばし、チームは快勝!!となりました。

『引き際』・・・、これを決断するのは、大変難しいのだと思います。

【己・我のみ】  【己・我・全体】  【目的・全体・己・我】で、全然違うと思います。

金本選手は、やはり、尊敬する選手でした。幼い頃からのタイガースファンとしては、とても嬉しく思います。チームの雰囲気もとっても良いのではないかと思います。

これで、今年は、タイガースが優勝だ!!

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なるほど・・・いいアイデアだ・・・

昨日、車でラジオを聴いていたら、面白い話が流れてきました。その話とは

『必ず立つ茶柱』です。

日本茶が低迷する中で、お茶をもっと広めたい。販売したい。と言う生産者の切なる願いを受けて、どうしたらお茶が売れるか・・・と考え始めました。いろいろお茶にまつわる事を調べたり、いろいろな人とお茶について話したりしたのだと思います。その結果、『昔からの言い伝えで、茶柱がたつと縁起がいいと言う話を聞いた事あるよね。』っという話になり、確かに自分が貰ったお茶の茶柱がたっていると嬉しい気持ちになった事を思い出し、『ピーン』ときたようなお話でした。そこで、絶対に立つ茶柱を、紆余曲折ありながら開発され、商品を創ったという話でした。現在は、各方面から問合せが来ているとの内容でした。

また、室内履きぞうりを知っていますか?タンスの奥にしまっている浴衣をさいて、わらぞうりを編む手法で、その浴衣を編んでいくのです。その草履が完成すると、1つとして同じものではない、世界で1つだけの草履が出来、その草履は、室内で履くとほこりはすうし、若干デコボコしているので、足のツボを押し、何とも履き心地が良いので、一石三鳥位の価値があります。

これらの草履は、お婆ちゃんの智恵から産まれた産物です。この草履をつくったお婆ちゃんは、作り方を人に教え、草履が売れるので収入が入り、とっても元気だそうです。海外にも行ったらしいですよ。(ちなみに当時86歳です)

そこで私は思います。今こそ、『智恵』を機軸とし、『智恵を軸とした世代の融合』『智恵の継承』『自己研鑽』をテーマとした大学の創設が必要だと思います。大学といっても、東京大学や慶応義塾大学、九州大学の様に、広い敷地があり、校舎があり・・としたハード的インフラを要するものではなく、今、社会に余っているスペースや、社会にあるスペースを活用しながら運営する大学です。

手始めとして、志免町でこの様な試みにチャレンジします。志免町で行おうと思っている基地は、敷地横に、保育園と小学校があり、絶好のロケーションにあります。この地を基地とし、幼児~小学生~中学生~高校生~大学生~社会人~高齢者までを、『智恵縁』で結び、『智恵』を起点に、子育て・智恵のある人創造・元気高齢者の創造・社会に必要な商品の開発等・・・を行っていくつもりです。

『智恵縁』今後の流行語になると思います・・・

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 9:45 AM  Comments (0)

10秒前に時が戻れば・・・

昨日、長崎自動車道を走行中、車が、いつもと違う事に気づき、すかさず小城パーキングエリアに入りました。車から降り、タイヤを見ると、前輪左側のタイヤの空気が少し減っていて、パンクしたのかと思いました。その後、タイヤをいじっていると、タイヤの空気を注入する部分のゴムが傷んでいる事がわかり、JAFを呼ぶ事にしました。

しばらくすると、JAFの車がやってきました。

車から降りた男性は、60台に見えるベテランの方でした。状況を説明し、その方がタイヤを点検したら、やはり、私達と同じ見解で、すぐさまスペアタイヤと交換してくれ、この後、私達がするべき事の説明や、スペアタイヤの空気圧を点検、空気の注入を行ってくれました。その際、この担当の方と、いろいろ会話を交わしたのです・・・

その方は、タイヤを調べた後、開口一番『それにしても、良く気がつきましたね。道路走行中にタイヤがどうにかなっていたらおお事になっていましたよ・・』私達夫婦も、それを考えたら、『ゾー』っとします。多分、死亡事故になったでしょう。その方は、いろいろな事例を交えて、『貴方達は、とても運がいいですよ。点検を怠ると、命にかかわる事故を引き起こしますよ・・』という事を、私達夫婦に何度も何度も伝えてくれました。

その話の中、その方は、1つの事例を話してくれました。その方が、不注意にも車の点検をしていなかった為、車が横転する事になり、その際、手首がスパーッと切れたそうです。その傷跡をみせて頂きながら、その方が言われた言葉が

                           『10秒前に時が戻ってくれれば・・・』

でした。私も、学生時代、バイクで交通事故をしています。その結果、障害者手帳ができました。その後何度も、10秒前に戻ってくれれば・・10秒前に戻ってくれれば・・・と思った事か・・本当にその気持ちが良く分かります。

今回は、その思いをする事を未然に避ける事ができました。まさに『危機一髪』『九死に一生を得る』という思いです。

その後、スペアタイヤをつけ諫早に行く道中、『命拾いをしたね。いつ死ぬかわからないから、前向きに、やっておきたい事をやろう。もらった命の質を高めよう。』と夫婦で真剣に会話をしました。

皆さんも、10秒前に時が戻れば・・・と言う体験をされていると思います。この思いは、後悔の念から出る言葉だと思います。

どうぞ、このブログを見て頂いている方々が、後悔の無い人生を歩む事が出来ます様に・・・

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 10:55 AM  Comments (0)

ちょっとひと息・・すこーしまわり道・・・

昨日、ある番組を、とっても可愛い嫁さんと一緒に見ていました。すると・・・

『あと1年しか生きられないとき、みなさんは、何をしますか?』

剛速球が、私と可愛い嫁さんの心に投げ込まれました。

『お父さん、お父さんだったらどうする?』『お母さんはどうする?』とお互い、『何をするかな?』と考えながら、顔を見合わせていました。

皆さんは、なにをしますか?

この問いかけをブログで行った女性がいます。この女性は、幼少より肝臓に疾患がありましたが、歌う事で、自分を表現し、人々を励ます活動を行っていました。しかし病魔が進行し、医師より余命1年と宣告されました。

絶望の淵に自分を追い込み、希望も失い、生きる事の意義を失った時に、あのブログを発信したそうです。そして、そのブログを発信した後、手首を切って死のうとしようとしたその時、多くの方から、励ましの返信が返ってき、自分を支え続けてくれたお母さんや、仲間を含め多くの人の言葉や顔が脳裏に浮かび、寸前の所で思いとどまると同時に、生きる事の決意をしたのです。

そして彼女は、余命1年だけれども、ありのままの自分を表現する『ライブ』を全国で行う事を決意されました。その決意が、彼女の歌・詩に乗り移り、その歌・詩を聞いた人達の心を動かし、プロのミュージシャンをバックバンドに率いたライブを開く事が決定したのです。ファーストライブが6月11日に東京の方で行われる様になったのですが、これは、余命1年と宣告され、その期限が過ぎての事になります。

彼女は言っていました。『できれば、10年後・20年後も、歌い続けていると思います・・・』

先日、このブログにも書いたと思いますが、『いのちが一番大切だと思っていたら、生きるのが苦しかった。 いのちより大切なものがあると知った日 生きるのが嬉しかった』という詩を紹介させて頂きました。私は、この話をテレビでみて、直ぐこの言葉が浮かびました。

介護施設にお見えになる高齢者の方(人生の大先輩)達は、常に『いのち』の不安を抱えながら生活をしているのだと思います。たぶん多くの方がそうでしょう。しかし、そんな先輩達に、『彼女の様に生きましょうよ』と言ってもそれは・・・ですね。しかし、その先輩達のいのちの質を高めるお手伝いは、我々介護に携わるものにでも出来るかもしれません。

『あの方の横に寄り添っていたい・・・』『あなたが、ただ、そばにいてくれるだけで・・・』そんな心のキャッチボールが自然と出来る誠実な関係ができれば・・・

みなさん、今・この時代、原点に立ち返り、見つめる視点をどこに据えるか?・・・ 立ち止まってみませんか?

ちょっとひと息・・すこーしまわり道・・・

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素晴らしく・美しい

ブログを始めて4ヶ月という月日が経ちました。

毎日、感じた事があると、『あっ、そうだ。ブログに書こう!』と思う日々です。私の中では、ブログはすっかり生活の一部になっています。とても楽しく、公開日記を書いている感じです。

昨日、夜のスポーツニュース(これを見て、野球の結果を知る事は、ブログと同じで、生活の一部です)を見ていると、エンゼルスの松井選手の話題を放送していました。昨日から、松井選手が昨年まで所属していたヤンキースとの今季初の公式戦が始まりました。

初戦の始まる前に、昨年、ヤンキースが、ワールドチャンピオンに輝き、チャンピオンだけに与えられるリングの授与式が行われていました。皆さんもご承知の通り、松井選手は、昨年のワールドシリーズで、MVPの活躍をし、エンゼルスに移籍しましたが、リングを授与されていました。

ここからが感動した出来事になりますが、松井選手にリングが手渡された後、現ヤンキースの選手が、松井選手の下に集まり、ハグやハイタッチをしているのです。そして、その光景をみた観客は、総立ちで拍手をしています。ここには、『美しい心』『互いに互いを称えあう心』しかありません。皆の顔が、何ともいえない微笑に包まれ、とっても心温まる光景でした。

その後、試合が始まり、いよいよ松井選手の打席になりました。『ヒデキ マツイ』とコールされ、ウエイティングサークルから打席に、ゆっくりと進んでいきます。すると観客が総立ちになり、ヒデキ マツイに賞賛の拍手を贈ります。多分、ヒデキ マツイの心の中は、感動の涙で溢れた事でしょう。賞賛の拍手の中、ヒデキ マツイ選手は、全ての観客の方に向けて、打席をはずし、ヘルメットをぬぎ、感謝の意を、敬意を込めてあらわしていました。

とっても・とっても・とっても 素晴らしい光景でした。本当に素晴らしい光景でした。日本の中で起きた出来事ではなく、アメリカで起きた出来事ですが、人種の壁を越え、『互いが互いを賞賛する』・・・素晴らしく・美しい・・・

縁があってこの場面を見る事ができました。この光景は、私の『素晴らしく・美しい』bookの1ページに入れたいと思います。

皆さん、皆さんが知る『素晴らしく・美しい』を教えて下さい。

私は、『醜い中から、真に美しいものが見える』と思っていますから・・・

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 9:12 AM  Comments (0)