2013年8月27日
人は人生最期の時をどう過ごしたいか?
25日の日曜日は、父の17回忌を行なった。
あの日も、25日同様、大雨の朝だった。栄光病院のホスピス病棟から視る外は、まるでバケツをひっくり返したかの様な雨でだった。
最期は、妻・子供達・孫たちに看取られながら、ゆっくり・ゆっくりと・・ そして笑っているかの様な表情を浮かべて静かに息を引き取った。
栄光病院から家に向かうため外に出た。。外は、晴天になっている。。何といい天気なのか・・
私達家族は、言葉に表現できないくらい、栄光病院のあの病室を離れる寂しさにも包まれながら、感謝の気持ちで一杯であった。
人は誰しも人生最期の時を迎える。。その時を、どの様に迎えたいだろうか?
私の父の場合、自分の事を理解し、受け入れいてくれる環境の中で、最期の時を迎えたい・・と思ったんではないか?
家に帰る。。家に帰る。。そう言っていた父だったが、病室を家の代わりに・・ 家とは・・を冷静に考えた時、家族と過ごす・自分を受け入れてくれる環境で過ごす・・ そういう思いだったのではないだろうか?
現在、不動産にお金をかけた病院・老人施設等があるが、私は思う。
この終末期を迎えるにあたり、受入れる・・という環境・下稲葉先生が言う命の質を高める・全人的ケアを享受したチームが第一優先の様に思う。ここ無くしては、いくら立派な建物があったとしても人生最期の時を迎える人にはなんにもならない。。また、人を看取る残された家族にとっても、『心から良かった。』と思える事はないだろう。。
全ては、この3者の想いが1つになる環境を創る事にあり、そこに専念していく事が、まさに笑老ライフなのではないか?と思う日々である。
Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 7:32 AM
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