支え合い
おはようございます。
令和3年2月17日水曜日の朝を迎えました。
雪が降り、風の音がします。
その中、2620回目の投稿です。
昨日、2021年度からの「支え合い新聞」について計画をまとめる中、ふと「支え合い」って何だろう?その意図する意味合いを皆が同じように共有しているのだろうか?そう想い、中学生等を含め、支え合いに関する作文をネット検索し観ていました。
そこで感じた事は、人により違うということでした。
私は、弱い人間です。そしてまた右足に障害があるので腰に爆弾を抱えています。先日も、掛布団を直していたらぎっくり腰になり、約1週間、送迎のお手伝いをすることができませんでした。すると言っておきながらできないということで迷惑をかけたのです。
一方、強い面もあります。すこーしずつですが、継続しようとしている自分を信じれるようになっています。
そんな自分が、支え合いをどう考えているか?
自分に質問をしてみました。
待てよ.. どうとらえているのか? 実は、わからなくなったのです。
困っている人がいる。でもその方は人に頼るのではなく、自分で何とかしようと一所懸命に努力している。端から観ていると、お手伝いしようか.. とおもってくる。
あの.. そう話しかけると、大丈夫です。という氣が返ってくる。でも観ていられなくて.. 自分の氣持ちとして行動を興した。それに対し、ありがとう の氣持ちが返ってくる。
私が私の判断でお手伝いをしようと決めて行動に移した。
これがわかりやすいでしょうか..
支え合いのシンボルマークを考案して下さった煌さんは、みんなの為に..と、人のお世話をする友人からエネルギーを頂き、今度は私が.. と決意し生徒会に立候補し、その活動を部活の部長職と共に行ってきたそうです。
煌さんは言います。
私は、いろんな人に支えて頂いているんだと感じる事が出来ました。支えられるばかりではなく、今度は私が支える側に回って、お役に立ちたいと想っています。
将来、人が笑顔になれるような仕事をしたいそうです。
支え合いは、こういう時に人と人の関係がより結ばれ、その関係から出るエネルギーが螺旋状になっていくように感じます。
その視点で自分を振り返ると、私は家族を支えていたのか? 妻を支えていたのか?
遅くない。今からでもいい。今日から.. いや今から そういう関係にする。
とてもよい時間でした。
寒いのでご自愛ください。
まだコメントはありません。