ご冥福をお祈りいたします。

おはようございます。
令和3年7月3日土曜日の朝を迎えました。
曇天の福岡です。
九州南部~関東にかけて大雨になっています。
おお事にならないように祈ります。

昨夜でした。志免町商工会の商工まつりの委員会会議を行っていると1通の電話とラインが入ります。
観ると
相棒の死を告げる連絡でした。

先月の8日、家族と遊びに行っているなか気分が悪いと救急車にのり意識がなくなって以来、今までよく踏ん張りました。
あのままもし帰らぬ人になっていたら、残された奥さん娘さんの心はどうなっていたか..
夫として、父としてよく踏ん張ったと思います。
〇〇君、よくがんばったね。

彼との出会いは、今から約12年前のことでした。
私は、地域包括ケアシステムを完成させる為には、ホスピスを行っている下稲葉先生率いる栄光病院が核となり、そこから逆算方式で今をどう生きるか?とテーマにした企画を立案し、栄光病院に提案に伺いました。

私が創った提案書を下稲葉先生が観てくださり、それから暫くして会議の席に呼ばれました。

その会議とは、私の計画と栄光会が計画をしていた内容を足した形で実行させようとするキックオフ会でした。その際、私の目の前に座っていたのが彼でした。

私が自己紹介を行い順番がきました。
父からのことを話し始めた時です。
涙が止まらなくなりました。感動の涙だったんです。

それから事あるごとに表面上のお付き合いをしていました。

そして2020年5月。
一緒に仕事をさせて頂くことになります。
彼の任務は、私の仕事の継承です。私の行っている仕事を引き継いで頂く為には、数年かかります。今年55歳になる私からすると、ちょうど定年までに間に合う。と感じていました。

しかし彼と話をすると人事に納得がいっていなかった。また、彼のもう1つの任務であるうきうきルームのマネジメントも、コロナの影響で中止になる。彼としては、核になる仕事がないように感じる日々でした。

その時です。コロナフフレイルという現象が起き始めたのは..

こういう状況になっている今、専門職として貢献できないっておかしい。今、貢献しなくていつやるのですか!
そう熱く語ったかれ..

そしてできたのは、ある町内会さんとの実験です。
少人数での集い場開催。
そしてそこで得たのが、
住民と専門職の協働の方法でした。長年、ここを見出せなくて苦労していたのですが、意外や意外、ここで掴めたのです。
そして
彼と和田君と3人で話し合い決めたのが、住民と専門職で行う会議。
その会議の目的をくるめた名称を彼がつけてくれました。

「生きる力 支援推進会議」
専門職と住民が協働して、その方の生きる力をどうやったら支援する事ができるのか?を話し合います。
当然、その方のことを把握できなければそれは成り立ちません。
沢山の制約がつくでしょうが、その中からその方が生きたい生きる力を自らつけるモノやことを見出す。
その会議をしようと決まりました。

そう決まったのですが、彼の本心は決まりませんでした。自分がやる仕事ではないと..

私は、彼にプランナーを行ってほしかった。
ホスピスで長年理学療法士としてかかわってきた彼にプランナーをして欲しかった。
お父さんを早くに亡くし、人の最期の大切さと残された人の前向きさに相関関係があり、そこが大事だということがわかっている彼にやって欲しかった。突然病気になり、生きるモチベーションが下がった人に寄り添い、その方が自らまた人生を前向きに歩くようになる支援をしてきた彼にやって欲しかった..

何度も何度も彼にそのことを伝えました。

そしてようやく.. 彼にその気が出てきて、さあやるぞーーと、キックオフの日を決めた後でした..

残念でなりません。

彼に私が出来ることは、
彼が命名した「生きる力 支援推進会議」を育て上げ、地域住民の方が安心して生活できるよう、専門職と協働してそんな街を作り上げることです。

それが彼の供養になると信じて..

〇〇君 見守っててね。

頑張るから。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 7:03 AM  Comments (0)
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