おはようございます。
令和2年9月2日水曜日の朝を迎えました。
今日は、8歳年下の妹の誕生日です。
46歳になったんだ。
私が小学生になった時に生まれた妹で、それはそれは可愛かったんです。
ケガや病気との付き合いが長い妹でした。
身体は元気なのに自由がない。周りの同級生たちは楽しく遊んでいるのに妹は家に..
そんな生活をしていました。
妹が中学1年の時、私は就職活動中でした。
その時です。
父から電話があります。
「〇〇は来てるか?」
「来てないよ」
何と妹が私のとこに行くと言って家をでたそうなんです。
それから妹の捜索です。
そして実家で妹を待つ事にしました。
どこに行っているんだろう?
今、どんな心境なんだろう?
そんなことを想像しながら実家の台所あたりに座っていました。
すると電話が鳴ります。
一番最初に電話に出たのは親戚の叔母さんでした。
「剛君、代わって」
電話の主は、妹と、旅館の主の方でした。
妹は別府にいたのです。取り急ぎ、私が別府まで迎えにいく事にしました。
夜中に車に乗って別府まで行くのは、これが生まれて初めてです。
旅館に着き、その日は妹と泊まる事にしました。
主に御礼を言い、妹を車に乗せ、安心院のサファリパークに向かいます。
ムツゴロウさんみたいになりたい! という願望がありましたのでサファリに..。
そして私が暮らすアパートに連れてきました。
暫く、私と一緒に暮らす事にしたのです。
私のプランとしては、いろんなことを経験させて、何に興味を持つか?これを把握することでした。
そして興味をもったことに全力投球することを勧めようと思っていました。
まずは、私の就職活動に同行をさせます。
私が面接に行かねばなりませんので、その会場付近まで連れて行き、車の中で待っている様に伝えた事もありましたし、本屋で待ってもらう事もありました。
そして
就職活動の合間をみて、妹がファンだった酒井法子さんのコンサートに一緒に行ったり、カラオケに行ったり、美術館や文化会館に行ったりと、世界中の壁を越えるスポーツ以外の文化・芸術・音楽・海水浴等を一緒に体験したのです。
その中で自然と反応をしたのが音楽でした。
高校ではバンドを組んで活動をしましたし、つい最近までマザーリーフという名でCDを出したりコンサート活動も行っていたんです。憂いを持ちながら人生を歩んでくるなかで、音楽が彼女の心を素直にしてくれたのではないかと思います。
そうやって歩んできた妹も46歳、4人の子のお母さんです。
これからどういう人生が待っているか?
それはわかりません。
いろんな経験をすることになると思いますが、常に、素直な人でいて欲しいと思います。
今、愛情を持って叱咤激励をする役割ができるのは私だと思っていますので、いざという時には彼女の為に役に立ちたいと思っています。
年々、兄妹のことを想う様になってきました。
同じ釜の飯を食った妹達です。
いつまでも元気に
自分らしく生きて欲しいと願っています。