人間見聞録・・・下稲葉 康之 先生から学ぶ

今から18年前の事になります。

定年退職を間近に控えた父と、退職後の生活プランについて話をしていました。当時の私は、父がぼける事が心配で、趣味創りや一緒に生活する事を提案し、いつも活動的にしよう!と話していました。父も、『そうだな~』といつになく嬉しそうに、今後の生活に対する展望描いているようでした。

そんな父がある日を境に腰を痛がり、原因がわからないまま病院を転々・・・3件目でわかった事は、前立腺の末期癌で、余命2年でした。

そんな事を信じてたまるか!きっと間違いだ!と思う中で、家族と協議し、免疫療法を含め、良いと言われる治療を行いました。それも本人には、早期の癌だ。と伝えて・・・

しかし、本人に嘘の事実を伝えながらの治療なので、やはり効果はありません。

『お父さんに本当の事を伝えた方がいい。』『事実を突きつけられれば、きっと気力がなえる』家族の中で、見方が分かれました。この時、私達家族に、自分ならどうして欲しい・・・と言う見方がありませんでした。これは、後悔の念を残しています。

そんな状況が続き〇〇病院に入院したり、退院したりを繰り返す状況になったある日、先生の方より、『あと2ヶ月位かもしれません』と命の宣告を受けました。その頃父は、『おかしい。もしかしたら俺は、そう長く生きれないんではないか?何故、誰も本当の事を伝えないんだろう?俺を騙しているのか?』と疑心暗鬼になっていたと思います。私達家族が病室に行っても、人間関係が崩れていく状況や心の溝が深くなっていく様な事を、深く感じていました。

その様な状況下で、母より提案がありました。『お父さんと、ホスピスに行こうかと思ってるんよ。ホスピスとは、末期癌の患者さんを人間として対応してくださり、安らかに命を全うできる為に、尽くしてくれる所のようだよ。それで、この間、お父さんとその事を話したら、行くっていったんよ』『その病院はどこにあると』『志免町に、栄光病院という所がある』『そしたら明日行ってみる』という様な会話を行い、次の日私は栄光病院に行きました。

『鷹尾さん、どうぞ』と言い、診察室兼相談室の様なお部屋に通されました。

部屋の中には、仏様の様なお顔をされた下稲葉先生が居ました。『どの様な状況なのですか?』『かくかくしかじか』と今までの状況をお話しました。それから病室を見学させて頂き、今後、私達家族がやる事の説明を受け、先生から教えて頂いた通りの対応を行いました。

その日から、概ね1週間後、遂に栄光病院に入院する事になったのす。  

この続きは、また明日・・・

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 9:42 AM  Comments (0)
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