人間見聞録・・・マザートークから学ぶ
マザートーク・・実は、8歳下の妹の事です。
今、娘を2人持つ母になりました。
ここの家族は、音楽と介護に明け暮れるナジオ君、マザートーク、あっちゃん、じあいちゃんの4人で、山の中で生活し、テレビもない原始的な暮らしをしています。
マザートークは、私より8歳も下の妹なので、やはり可愛い・・と思える存在です。(私と違い、性格がとってもいいんです。)
幼少の時から、『にいちゃん、ちよしにいちゃん(本当はつよしです)・・』と言って、くっついてきてました。ある時は、私が素振りをする為にバットを持って外に行き、体を少しほぐした後、素振りを始めました。『ブルン・・』と振った後、『ゴツン!』・・・あっ・・と思った後、後ろを振り返ると、マザートークのおでこにバットが・・
ある時は、野球の試合が終わり、家に帰り、玄関のチャイムを鳴らします。『ピンポ~ン・・ただいま~』。すると歩行器に乗ったマザートークが、『あっ、ちよし兄ちゃんだ・・』と言って、歩行器を足でこぎ、私めがけて突進してきます。玄関には段差がありますので、段差付近で止まると思い込んでいた私は、手を広げて『おいで・・・』のポーズをとっていましたら、そのまま突進・・歩行器ごと玄関下へ落下・・
元来、スポーツと音楽をこよなく愛する鷹尾家でした。私も、2歳下の妹もスポーツを行っていましたので、マザートークも体を動かし、スポーツに熱中したい・・と言う気持ちがあったと思います。しかし、腎臓が弱く、スポーツを行えば寝込み、入院する・・という状況を繰り返していました。家の中でも、母が心配し、体を動かす事に対して拘束される様な感覚が妹にはあったと思います。
私が、大学3年から4年にかけて、就職活動を行っていたある日の事です。『剛、お前のところに淳子が行ってないか?』と父から電話がありました。『いいや、きてないよ』
その頃私は、アパートで1人暮らしをしていました。『淳子が、兄ちゃんのところに行ってくる。と言って家をでたんよ』
その後、父と私は同じ心配をし、天神・中州と繁華街を捜索したのです。中々見つからず、警察に捜索依頼をかけようか・・と話していた矢先に、『兄ちゃん、迎えに来て・・』『お前、今どこにいるんや』『別府におる』『詳しい事は後で聞くから、何て言う所におるんか?』・・・
その後、別府に迎えに行き、その後1ヶ月マザートークと共同生活をしました。
彼女に、何か打ち込めるものを見つける為に・・・
それからと言う日々、就職活動に同行させたり、デートに同行させたりしながら、コンサートや美術館巡り、演劇鑑賞、歌を歌いにカラオケへ、サファリパークや動物園巡り・・・
運動ができない、しかし、自分の中にあるエネルギーを燃やしたい・・そんな悶々とした日々から少しづつ解きほごされてきたと思います。
そんな妹が、今では、自給自足の様な生活の中、自宅分娩をし、全国の人に向けて、命の大切さに関するコンサートやライブを、ヒーリング・フャミリー・ミュージックの様な形態で、いろいろな場所で行っています。
そんな妹から、『兄ちゃん、この生活は良いよ!!』って言われて早3年。
いよいよその時が、1昨日から始まりました。今まで体験をした事のない『テレビのない生活』
1日たりとも続かない・・・と思いまじめた生活。しかし、2日体験しましたが、時がゆっくりと、かみ締めるように過ぎて行く様に感じます。自分の時間、夫婦の時間、子供との時間、それぞれがしっかりとれ、1日の整理と明日の展望がしっかり出来ますね。
元来寂しがり屋な私は、音楽が流れていないと嫌だ!という側面がありましたが、以外にも、マザートークの言う事に納得しているこの2日です。
あの子の行く末を心配して死んだ父に、『母と淳子の事は、任せとけ』って、約束をしました。
しかし、今、妹から『兄ちゃん、〇〇したらいいよ』って、逆になっている様に思います。あれれ・・・
マザートーク、これからも宜しくね・・・
せんだっては、お世話になりました。
五周年記念パーティーの写真今日届きました。
コメントでのお礼で申し訳ありません。
笑老ライフ大変でしょうが、頑張りましょう。
田中さんへ
こちらこそ、ありがとうございます。
笑老ライフへの道のりは、エベレスト級の山が幾つもありそうですね。今からの時代に向けて、必ず多くの皆さんから共鳴と一緒に動きましょう!!という声があがってくると、確信しています。共に頑張りましょう!