・・ 伝え 伝わる ・・ パート6

『夢にまで見た生原先輩と会える。』心の中の興奮を押さえきる事が出来ず、勢いのまま、ドジャータウンの中を進んでいきました。そこに警備の方がおり、『アイク生原さんと約束がある』その事を伝え、呼んで頂くことになりました。それからしばらくして、『鷹尾君、ごめん、待たせたね』『いいえ、初めまして、田川高校野球部後輩の鷹尾剛と申します。』『ここまでどうやってきたの?』『はい、歩いてきました。』『そうか(笑)今晩のホテルは予約しているの?』『いいえ、ノープランです。』『そうか(笑)じゃ、まず僕の部屋に行こう。シャワーでも浴びなさい』という会話を、がちがちに緊張した中行いました。

渡米前、生原先輩の書かれた本を読んでいた私からすると、雲の上の様な存在のです。

生原先輩は、田川高校で野球をした後、早稲田大学に進学し、野球をされます。その後、大学・社会人野球の監督を経て、当時のプロ野球セリーグコミュッショナーの鈴木さんの助言もあり、ドジャースに行かれました。当時は、どこの馬の骨か?とドジャースの中では思われていたと思います。しかし、生原先輩は、選手たちのグローブ・バット・スパイク・ボール等を、心を込めて磨き、この選手達に活躍して欲しい。と言う願いを込めていたといました。来る日も来る日も同じを光景を見る選手や関係者が、その姿に心を惹かれ、選手が活躍し始め、関係者も、アイクと親しみを込めて、呼ぶようになってきたそうです。それが、当時の会長であったピーターオマリー会長より認められ、会長補佐という仕事を行い、日本とアメリカの野球の架け橋的存在となって言ったのです。

シャワーを浴び終え、忙しい生原先輩から『食事を一緒にしよう!』と言われ、ドジャース選手専用レストランに向います。そこに付くと、選手達が食事を取っています。ドジャースは、その前の年に、ワールドシリーズを制し、チャンピオンになっているチームです。その選手達と同じ場所で食事だなんて・・・もうたまりません。そして、テーブルに着くと、同じテーブルに、私の大好きな阪神タイガースの元エースで、押さえの切り札だった山本和行元投手がいます。そして、中日の選手、ピーターオマリー会長と同じテーブルです。もう気絶しそうです・・・

もっぱら話を聞くだけの私は、その夜、中日のコーチであった入沢さんの部屋に泊めて頂くことになりました。ここでも、いろいろなプロ野球選手の話を伺い、何の為にドジャータウンまでいったか、すっかり忘れ、一野球小僧と化していました。

次の日、ドジャース対メッツのオープン戦があります。生原先輩からは、『今日は、何時に帰ればいい?』『ウエストパームビーチを18:00出発です』『わかった。送っていくから・・』恐縮です。

グランドでは、バレンズエラがダッシュをしています。近くまで行くと、もの凄く大きな太ももがありました。『これは、鍛え方が全然違う』直感的にそう思い、生原先輩に話す用事を忘れ、練習見学に熱中です。グランドに移ると、オープン戦に向けて、練習しています。マレーがいます。ストロベリーがいます。ラソーダ監督もいます。もうたまりません。試合に向けて、鼓笛隊が入場し、試合前を盛り上げます。私は、興奮の坩堝にはまり込んでいました。アメリカの国家が流れ、スタンドにいる観客が立ち、ほとんどの人が、旨に帽子を当て、愛国心・忠誠心を誓っている様に感じました。

6回が終わる頃、生原先輩が迎えに来てくれ、『ごめんごめん、遅くなったけど大丈夫か?』『多分、真に合わないと思います。』『そうか、ウエストパームビーチから次はどこにいくようにしてるの?』『はい、タンパです。朝のタンパからメンフィスにいく飛行機に乗る様にしています』『そしたら、ウエストパームビーチからタンパへの夜行バスを利用したらいいよ』といい、ウエストパームビーチのバスターミナルまで送ってくれる事になりました。

『ところで鷹尾君、君は、私に何か大切な用事があったのではないか?』『はい、私は、子供のオリンピックや家族のオリンピックをしたい。と思っています。ついては、長島茂雄さんに、旗振り役をお願いしたいと思っていますが、私の周りに知り合いがいません。生原先輩、長島さんを紹介して下さい。』無謀にも、正直に私の気持ちを伝えました。

実は、ドジャータウンに着き、生原先輩に会い、いろいろな場面を見たり、生原先輩の話を聞くにつれ、言い出せなくなっていたのです。実に甘い考えだ!と自分で思いましたし、こんな事、この大先輩にお願いできない。と思っていました。

しかし、勇気を振り絞り、お願いをした所、『鷹尾君、わかった。まず、3年間社会に出て、修行をしなさい。まず、とことん仕事をしなさい。そして、3年後に、その希望が今より強いのなら、またここまで来なさい』『はい』と言い、涙が出てきました。何故涙が出たのか、未だにわかりません。そうこうしている内に、ウエストパームビーチのバスターミナルに到着です。生原先輩に深々と頭を下げ、お別れしました。これが、本当に最期のお別れとなりました。

これから3年後、生原先輩は、長島一茂選手を、ベロビーチで鍛えている中、病に倒れ、胃がんでお亡くなりになりました。

午後6:30頃にバスターミナルに到着し、午前0:00にくるバスを待ちながら、生原先輩の言われた事を、何度も思い返し、生原先輩の本を、何度も読み返し、何を伝えてくれようとしたのか?考えていました。

次回につづく・・・

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 12:15 PM  Comments (0)
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