第7回 笑老ライフ勉強会 開催報告!!

昨日、福岡市南区高宮にあります『アミカス高宮』で、NPO法人笑老ライフ研究所の第7回勉強会を開催しました。

今回は、福岡県の新社会推進部県民文化スポーツ課 事務主査兼指導主事 の 森本泰史様を講師としてお迎えし、約32名の出席者の方々と開催致しました。

 

今回の勉強会の目的は、『地域コミュニティーの創造と今後の時代背景を見据えた地域生活共同体の創造に向けた組織つくりへの布石』であります。

森本様は、現在、『スポーツ』を切口として、我々と同じ目的で活動されています。

話がとっても面白く、大いに勉強になりました。

森本さん、今後とも宜しくお願いいたしま~す。

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人間見聞録・・・平凡

毎日、大なり小なり、嬉しい事も、頭にくる事も、悲しい事も、胸がキューんとなる事も、不安で心配になる事も・・・いろいろ体験しますよね。だからこそ、心の休まる瞬間、心が穏やかになる瞬間を大切にしたい・・と思いますよね。

今朝、おにぎりを買おう!と思って、コンビニに立ち寄りました。『ラッキィー』欲しいおにぎりセットがありました。『朝から嬉しいな~』と思ってレジへ行くと、先客が支払をしていました。『682円になりま~す』と可愛い声の店員さん。財布を取り出し、先客が支払ったのは、な、なんと『鍵』でした。『これは、ギャグか?それとも、この店員さんに、告白をしたのか?それとも、本当に間違ったのか?why?』です。

この一件に、関心を持てたと言う事は、冷静な状態にあるようです。

よく、『平凡が一番』、そうなる為には『凡時徹底』と言いますよね。

平凡・・・これってどういう意味でしょうか?私は、余り使わない言葉ですが、今朝は、何故かこの言葉が頭の中に出てきました。当たり前の事を、当たり前に出来る・・『当たり前って何・・?』

人によっては、現実からの逃避的な意味で使うでしょう・・・また、挑戦し続けている人の周りにいる人達や有名人の周りにいる人達は、周囲からの横槍や周囲に対する気遣い等々から開放されたい・・という意味でこの言葉を使うでしょうか?

私の場合、フッ~と、この言葉が頭に出てくるのは、ちょっとお疲れ気味の時か、何かに疲れてきた時か・・・です。

いづれにしても、プラス思考で、この言葉を使っている人が、どれ位いるでしょうか?積極的に、平凡を求めている人は?

私は、その様な方と、お話をしてみたい・・と思います。その方が信じている思想哲学を学んでみたい・・・と思うからです。それらの答えが、もしかすると、大分県日田市大山町にあるかもしれません・・・

あの地は、人間の位が高い人が多いような気がします・・

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人間見聞録・・岐路

先週末、金曜日~日曜日にかけて、『岐路』を意識する瞬間が多くありました。いつも判断しながら生きている為、特段、その様な事を書くのも変ですが、何故か『岐路だな~』と感じる瞬間がありました。

1つ目は、金曜日に行った、第5回目を迎えた悠愛デイサービスセンターの敬老感謝祭での出来事です。開始予定時刻をはるかに越え始まった今年の会。司会進行をおおせつかった私は、『最終的に、ここを何時に出れば良いか?』の確認だけ行い、後は、その時間の範囲内でまわす事を選択しました。

食事が終わり、約30分程押している状況下の中で、時間の関係上、どうしてもプログラムを1つはずす必要がありました。どれをはずし、どれを残すか?司会を行いながら考えます。『ううん~』『決めた・・・』

そこで決めたのが、お年寄りに酷かもしれませんが、トイレ休憩でした。約15分の時間を削ったのです。

食事が終わり、ほとんどの方がトイレに行っていました。そして、中には、『今の内に私も行っておこう』を言いながら行かれる方もいました。その場面を見ていましたので、『これしかない・・』と思い、悠愛のスタッフの方に相談すると、『いいと思いますよ。。。』でしたので、自信を持って決めました。お陰で、その後については、スムーズに流れ、ちょうどいい時間でラストを迎える事が出来たようです。

もう1つの岐路を意識した瞬間は、このブログを書くか、書かないか?・・でした。私が思った以上に、このブログを見てくださっている方がいる事を意識した時、『どうすべきか?』と一瞬思いました。これについては、すぐさま、『責任』という二文字をしっかり受け止めながら、このまま書こう!と思いました。

今回、この一件で、改めて、文章を書く事における『責任』・・について、感じ、意識した次第です。

最後の1つは、『手紙の内容』についてです。昨日、長崎日大高校の文化祭がありました。それはそれは、盛大な文化祭の様です。妻とばあちゃんと長女は、文化祭へ。私は、日大の招待野球の方へ行きました。

夕方、長男に渡す品物があり、その品物と合わせて、手紙を書く事にしたのですが、その内容を書く際に、迷いが出ました。

招待野球を見に行き、『息子はどこにいるかな~?』ずーと探しましたがいないのです。『怪我をしたのか?何かをやらかしたのか?』いろいろ考えました。しばらくすると『文化祭会場にいたよ・・・』って妻より連絡が入ります。

『おいおい、何で文化祭なんか?』心の中でそう叫ぶ私がいます。

そんな気持ちを持ったまま、手紙を書く時間となりました。『どの様に書こうか・・・』『長男にはプレッシャーをかける事になるけど、俺の気持ちを書くべきか?はたまた、それはやめるべきか?』私が手紙を書く事で、彼がどの様に受け止めるかの想像をしながら、しばらく筆が進みませんでしたが、彼にプレッシャーをかける事は避け、私の気持ちを一言だけ、最初に書き、彼の気持ち(本人が一番試合に出たかったと思います)を考慮し、ここで、どの様なアドバイスをする事が、彼の前向きな気持ちに繋がるか?を優先した内容にしようと決めました。

自分の殻を破り、未知なる自分と出会って欲しいと願う親心・・私が、子供にその挑戦を見せる事が、それを伝える一番の良い方法かと思います。(たばこをやめろうかな~、それが一番かな~)

今、岐路に立っています。

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人間見聞録・・自分

最近、嬉しい事が続いています。

私は、自分がする事で、人が喜んでくれる。人の役に立っている。社会の役に立っている・・と自分が実感できた時に、とても幸せな気持ちになり、嬉しく思います。

これまでの自分と、今の自分・・何が違うだろうか?って、現状を踏まえて振り返ってみました。

その大きな1つの要因として、目的に生きている、目的を見つめる事に意識を集中させようとしている自分がいます。今までの自分で言えば、目的の前に、『欲』が先に立っていたかもしれません。

今まで、いつも、どこか、イライラした自分がいました。自分の思い描いているイメージや計画と、実際進む方向が、何故か逆になるのです。何故・・・といつも思っていましたが、その答えがわかりませんでした。しかし、このブログを書くようになり、素直に今の気持ちを書ける様になってきてから、だんだん、内面と体現が近くなってきた感がありました。

その中で、周りの方々を観察させて頂くと、目的に忠実に生きている人は、思い通りの方向で進み、結果を出している事が分かるようになってきました。

私も、自分ベクトルをその様にする事を意識し、集中して進む事を実践する中で、周りの状況が変化してきたような気がしております。方向性としては、この方向で進めばいい・・と今は、迷う事もなく、だたひたすら、目的実現に向けて、小さなことの積上げを行っている積りです。それを、1つ1つ結果を出し、自信を深め、智恵を蓄え、目的実現に必要な、人・物・金・智恵・経験を兼ね備えて行きたい・・と思っています。

今日は、悠愛デイサービスの敬老感謝祭です。司会を担当します。この場が盛り上がり、良き思い出になって頂ける様な司会進行に努めたいと思います。では・・

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人間見聞録・・大山町から学ぶ

今日は朝から、大分県日田市大山町に行って来ました。

朝早くに須恵インターから高速にのり、日田インターに向けて出発進行!!今日は、噂の3人トリオで行きましたが、〇〇さんの絶好調トークのおかげで盛り上がり、運転をしていた〇〇さんが、その会話に巻き込まれ、日田を通り過ぎ、玖珠まで行ってしまいました。玖珠からUターンをし、砂煙をあげて日田市大山町ひびきの郷に向かいます。珍道中はまだまだ続きます・・・

そんな中、な・なんと、ぴったり約束の時間に到着。〇〇運転手さんの魔法使いぶりに仰天の中、とっても暖かく出迎えて頂きました。

今日、お会いさせて頂きましたのは、元大山町長の三苫様です。とっても思慮深く、視野の広い方でした。しかし、事を進める上では、小さい事を大切にされ、人に重きを置きながら、『あるもの』を見つめ、伸ばす事を行って来られたようです。

皆さんはご存知かと思いますが、私は、今日、この大山町が大分県の一村一品運動の発祥地である事をしりました。これもそれも、住民の方々と共に、三苫様がリーダーとして、それがこの町を活かす事に繋がる・・と決意され、実行されてきた結果だと思います。

現在、この地は、『梅』をテーマに、いろいろな商品を、製造・販売されています。これらも、生産者が、レシピを考え、製造し、町と共に販売している様です。従って、同じ梅酒でも、生産者毎に少しづつ味が異なり、同じ生産地の同じ商品でも味が違う為、それ自体が好評なようです。これも、一村一品ならぬ、一人一品となり、個人ブランドと大山ブランドのコラボで、大山全体で行けば、同じ商品でも、いくつも商品がある様になっています。まさに、個人と街全体が互いを引き上げ、渦巻状に進化・成長している街・集団の様に感じました。

それらの生産者の稼ぎも良いらしく、皆さんが元気に暮らしている街に現在はなっているようで、この地で、まさに『笑老ライフ』の現在化を見た気がしています。

この地は、我々笑老ライフ研究所が目指している『笑老ライフ社会』を実現させている街と言えます。

これは、私にとって『凄い・凄い』出来事であり、出会いです。

今後、この町を研究し、この町が何故この様な状況になっていったのかを分析し、この町に貢献しながら、他の町での笑老ライフ社会化推進に力を注ぎ込んでいきたい・・・と思います。

皆さん、是非、『人が希望を持て、元気になる街  大山』を、訪れてみて下さい。きっと、感じていただける何かがあるはずです。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 7:50 PM  Comments (0)

人間見聞録・・涙

涙には、幾つもの、思い出がある。

私が親しくさせて頂いている〇〇親子が、ある野球チームを退部したい・・との相談を受けました。いろいろ悩んだ末に出した結論でした。

そこに至る過程には、いろいろな事もあり、議論もありました。ひとえに、子供達の為であり、一体、指導をする指導者とは・・という事についても多く議論しました。

指導者とは・・と質問された場合、皆さんは、どの様に応えますか?

私の思う指導者とは、自分の事を良く知り、自分に誠実で、自分の生き方を伝授できる人であり、指導する人間の性格や家庭環境等も含め良く知り、その人間に、生きていく方向性や希望を示せるような事ができ、尊敬される人間の事をいうのではないか?と思います。

しかし、〇〇親子が入っていたチームの監督は、選手達がそこのチームの監督を尊敬するどころか、その逆の状況で、私が話を聞いていても、よくそれで指導者が務まっているな~と思うような事を行っています。多分、指導者とは・・の考え方が違うのでしょうね。

〇〇親子の、お父さん・お母さんは、悔し涙を流していました。そして、お父さんは、いろいろな方が親身に相談にのってくれる事に関して、とても感謝されていました。その際に流した二つの涙・・その指導者に見せてあげたい気持ちです。

私も、最近は、よく泣くようになりました。不思議と涙を流した後は、すっきりし、リフレッシュします。悔し涙は、余り流したくありませんし、流しませんが、うれし涙や感動の涙は、最近よく流します。

今回、〇〇親子の、お父さん、お母さんの気持ちが、手に取るようにわかる為に、私も同じ位悔しく、思わず悔し涙を流してしまいました。

その指導者を人間的に避難するのではなく、その人の考え方や、そこで行った行動が許せません。

人を指導する事は、とっても難しく、とっても腹を据える事が必要であり、最も自分に厳しくできる人が行うべきで、その様な方がはじめて、人を指導する事ができると思います。

いろいろな指導者の方がいらっしゃると思いますが、ちょっと立ち止まってみて下さい。そして、振り返ってみましょう。自分は、どの様な指導者であるか?自分は、本当に指導者で良いのか?

是非、〇〇親子の様な人達が生まれない様に、お願い致します。

Filed under: スタッフ日記 — takaotsuyosi 1:20 PM  Comments (0)

第7回 笑老ライフ勉強会 開催のお知らせ!!

 第5回目の勉強会の際、「健康・生きがい創り・住宅政策」というキーワードが出て参りました。
それを踏まえ、前回の第6回勉強会では、そのキーワードの中から、「健康」の分野での勉強会を実施させていただきました。講師を務めていただいた林田さんのおかげを持ちまして、良い会となったのではないかと思います。

 今回は、生きがい創りや地域コミュニティー創りをテーマとし、現在、スポーツの分野を切り口として、それを創るために奔走されています、福岡県新社会推進部県民スポーツ課にお見えになっていただき、「地域の皆が主役、地域型スポーツクラブから創る地域コミュニティーとそこから見える現状」についてお話をしていただき、私達、笑老ライフに向けた示唆を頂きたいと存じます。

 今の時代、多くの「仲間」を持ち、「ニーズや欲求」をしっかり掴んでいくことが大事な時代となりました。
その上では、貴重なお話や事例が伺えるかと存じます。

 皆様、奮ってご参加下さいませ。

 日 時 : 平成22年9月15日(水) 18:50~21:00

 場 所 : アミカス高宮 2階 研修室A・B

 内 容 : 地域の皆が主役、地域型スポーツクラブから創る地域コミュニティーとそこから見える現状

        福岡県新社会推進部県民スポーツ課 様

 参加費 : 500円  ※なお、会員様は無料です。

Filed under: 笑老ライフ情報 — admin 6:02 PM  Comments (0)

人間見聞録・・カマキリ

今週末は、長崎の諫早にいました。4日は、長崎日大高校野球部の総会、懇親会です。新たな父母会の役員さんの選出や、1年間の決算と次年度の予算説明です。その後、懇親会。久しぶりに、父母の方々との飲食です。その会の前に、金城先生より挨拶があります。お話を伺っていますと、ホントにその通り・・と思う事ばかりです。自然と背筋も立ってきて、我々親も教育して頂いております。本当に、感謝・感謝です。

5日は、はじめての運動会でした。私達の高校時代とは違う運動会でした。今時の運動会は、こんな感じなのかな~と小首をかしげる事もありつつ、昼食時間に、久しぶりに息子と食事をします。貴重な30分をフルに使い、いろいろ話をする事ができました。特に、長崎のばあちゃんが、息子の手を取り、手をさすっていた光景は、とっても感動しました。

運動会が終わり、担任の服部先生(この先生が担任でよかった・・・)と面談。息子の現状を伺いました。1学期末に、渇!!を入れて頂いたそうで、良いタイミングで、本人にとって必要な渇!!を入れて頂いたと思います。(あいつは幸せ者です)

その後、寮の総会があり、いよいよ待ちに待った子供との食事会です。昨日は、ゆっくり時間をとって頂き、妻も、次女も、息子といろんな話ができたんじゃないか?と思います。その際も、金城先生から話がありました。1つ1つの話が、私の胸に突き刺さります。これは、私が変わらない限り、息子もかわらんとやろうな~と思う点がありました。それについては、日を改めて書く事にします。

次は、正月に会えるかな~

話は変わりますが、今朝、車の運転をしている最中に、不思議な光景と出会いました。

信号停車をしていると、カマキリが、右サイドミラーの所に飛んできたのです。『あっ』と思ったその時、前の車が進み始めたので、車を動かします。

私は、カマキリが、飛ばされて、飛んでいくかと思っていましたが、何とサイドミラーにしっかりしがみついているのです。それも後ろ足は、空中に浮いており、羽の部分も、風の影響を受けて、なびいています。前足の2本で、しっかりと、あのすべるサイドミラーに固定させ、必死にしがみついています。

『ああ、もうだめか?』と思った瞬間、信号が赤になり停車します。『ふう・・・』と言うため息が聞こえてくる位の沈黙の後、カマキリは、サイドミラーを伝い、車の上部へ一目散と移動していきます。『早く行け、早く行け』と心で言いながら応援してると、またもや信号が青。少し停車してましたが、『ププ』とクラクション(おならではありません)がなったので、渋々スタート。カマキリは、何とか風を振り切り天井の方に移動したようです。

目的地に到着し、カマキリがいるかどうか見てみましたが、いませんでした。あのカマキリ、どこにいったのか・・・

あの必死に食らいついている姿は、とっても美しく、感動的でした。思わず応援したくなる賢い行動も中にはあり、自然界で生きる逞しさを感じました。

なりふり構わず・・・智恵を使え・・・相手と己を知るんじゃ・・・  カマキリが叫んでいます・・

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人間見聞録・・出会い

昨日から今日にかけて、2組の久しぶりの再開と2組の新たな出会いがありました。

久しぶりの再開は、両者とも約1年振りの再開です。1年前は、構想段階や、新規事業スタートという事で、0の段階でしたが、両者とも、計画が進行し、今からの笑老ライフにかかせない存在になっていました。

1組は、お医者様で、昨年0だったのが、今では、仲間のお医者様が、1名増え、約150名の方々のお世話をされているそうです。この先生は、良く話を聞き、良く笑い、良く話し、良く行動をされます。とっても人気の出るお医者様の様な気がします。

1組は、はるばる大阪より、とびっきりのサービスを開発したとの事で、久しぶりにお会いしました。確かに、とびっきりで、このサービスだと、高齢者の方、ご家族の方、介護事業所と、各方面の方々に喜んで頂けるという、ほのかな確信が持てる予感がします。是非、良いサービスに仕上げて行きたいと思います。

新しく出会いを頂いた2組の方は、今から一緒に、お仕事がスタートする方々でした。いづれの方も、哲学を持っておられ、一緒にお仕事をさせて頂く事が、とっても楽しみな方々です。我々、笑老ライフ研究所が願う環境創りが出来ると思います。

これらの出会いをくれた方々に、心より、御礼と感謝をしたいと思います。

思いを発信し、行動を興し、その姿を見てくださり、心が感じ、それを人に伝えてくれる・・・とっても嬉しくもあり、ありがたい事です。笑老ライフ社会は、我々だけでは、ただただの自己満足の世界です。これは、多くの方の共感と行動があって初めて実現への扉を開いていく事に繋がります。1人、2人と、伝えて頂ける方がいると言う事は、とっても嬉しく、同志ができた気分です。その方々の気持ちを大事にし、その期待に応えるべく、我々のエネルギーを注ぎ込み、皆さんと一緒に、笑老ライフの礎を築きたいと思います。

縁を取り持って頂いた皆さん、本当にありがとうございます。また、新たなご縁を頂いた皆様、今から一生懸命頑張ります。どうぞ、宜しくお願いします。

そして、1年振りに再会した〇〇さんと、〇〇さんと、〇〇さん、しっかり手を取り合いながら、実現させていきましょう。今後とも、宜しくお願い致します。

全ては、笑老ライフ社会の実現の為に・・・

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人間見聞録・・平成22年8月30日の西日本新聞より

平成22年8月30日の西日本新聞『異見・医見』のコーナーに以下の作文が掲載されていました。今日は、この作文を書かせて頂きます。

重い病気と闘うお父さんの回復を願う気持ちなどをつづった『お父さんへの手紙』を、昨年末に送ってくれた福岡県筑紫野市の近藤沙帆さん(中1)と、亨樹君(小4)のきょうだいが、新たな作文を寄せてくれました。2月に45歳で亡くなったお父さんの哲臣さんが、最期を過ごした福岡県志免町の栄光病院ホスピス病棟での様子などを書いたものです。

『愛情は一生忘れない』近藤沙帆

栄光病院は、ただの病院ではなく、私達家族にとって、ホンワカしたぬくもりを感じる場所でもありました。栄光病院で父が過ごした時間は、2月13日~20日までのわずか1週間でしたが、私たちにとっては忘れられない大切な病院となりました。転院する前、私達家族は、病院に話を聞きに行きました。栄光病院では、初めてお会いする下稲葉先生や看護師さんが、優しく熱心に話を聞いてくださいました。皆さんと話している内に、早くこの病院に父が転院できたらいいな~と思いました。説明の後、父が入ることになるという病室を見せてもらいました。病室は広く、テレビやソファ、テーブルまで設置され、『一日中、パパといられるよ』と病院が私たちを誘ってくれたように感じた事を今でも覚えています。その翌日の2月13日、父は栄光病院に転院しました。充実した設備の上、父の傍にいたいだけいられるこの病院が、私は大好きになりました。そして、忘れもしない2月20日の早朝、私と弟は、母から起こされました。父の具合が悪い事を聞き、背中がぞくっとしました。車で病院に向かう間、『パパ、生きていて!!』と祈るばかりでした。この日は、朝から父に会いに行き、病院にそのまま泊まる予定にしていた日です。夜も父と好きなだけいられるので、宿泊するのを家族でとても楽しみにしていた日でした。それなのに、父の具合が急に悪くなったことが信じられませんでした。病院に着くと、父は苦しそうにせきをして、喉にたんがたまっていました。父の顔色は悪く、私は、不安になるばかりで、涙が止まりませんでした。父の親戚もかけつけてきて、皆で『がんばって』と声をかけ、励まし続けていました。1分でも、1秒でも、長く生きて欲しくて、必死で祈り続くました。しかし、父の最期の時がきました。『パパ、パパの子供で幸せだよ。ありがとう。ありがとう、パパ、大好きだよ』という言葉を掛け合う中、父は、すう~っと息をひきとりました。8時5分でした。その日から、父がいないと思うと、私の頭が真っ白になりました。何も考える事ができませんでした。何もする意欲がわきませんでした。でも、父が『沙帆、たのんだよ』と言ってくれたよう気がして、『くじけずに頑張ろう』と決意しました。お別れの時、栄光病院の皆さんが、賛美歌を歌ってくださいました。あの曲を聴くと、今でも涙があふれてきそうになります。父と過ごした日々は、わずか12年とすこししかありません。しかし、父が残してくれた愛情と思い出、家族との絆は、私の一生の宝物です。父の愛情は、あふれんばかりのもので、父がいなくなった今も、それを感じることが出来ます。父はもういませんが、私は、この愛情を胸に『パパがきっと天国で見守ってくれている』と信じながら、これから生きていきたいと思います。

『そばにいられた幸せ』 近藤亨樹

僕は、お父さんが栄光病院で最期をむかえられてよかったなあと思ったことについて話します。1つ目は、栄光病院だとお父さんの傍に好きなだけずっといられたことです。これまでの病院だと、お父さんに会うのに、面会時間を守らなければならなくて、会いたいときにすぐ会うことができませんでした。けれど、栄光病院では、いつでも病院にはいることができました。ですから、お父さんに会いたいと思った時にいつでも行く事ができると思うと、安心でした。二つ目は、栄光病院の人達が、とても優しかった事です。いつも僕たちに会うと、笑顔で『こんにちは』とあいさつしてくれました。お見舞いに行く時『今日のお父さんはどうかな』と心配な気持ちで病院に入ります。でも、病院の人達のにこにこした顔を見ると、ぼくは、ほっとした気持ちになれました。栄光病院には、2人の下稲葉先生がいらっしゃいます。だから、ぼくは、下稲葉先生のお父さんの方を『おじいちゃん先生』、若い先生を髪の毛のツンツンした形から『ツンツン先生』と、自分の中でニックネームを作って呼んでいました。『おじいちゃん先生』は、初めてあった時から、とても親切な方でした。僕の話を沢山聞いてくださり、本もプレゼントしてくださいました。『ツンツン先生』も、僕の話をゆっくりきいてくださったので、ぼくも安心して話ができました。そんな素晴らしい先生がいらっしゃる栄光病院でよかったなあと思いました。三つ目は、部屋がきれいで、いろいろな家具が置いてあったことです。テレビ、ソファ、たんすがあり、台所もあるのでびっくりしました。ウイー(ゲーム機)を使うことができたので、お父さんの傍でウイーをする事も出来ました。お父さんの横で、お母さんとお姉ちゃんとぼくとでウイーをした時、お父さんも一緒にしている気持ちになりました。家族全員でゲームをしている気持ちになって、スゴク嬉しくなりました。今でもぼくの大切な思い出です。四つ目はの良かった事は、家族のお泊りが許されていた事です。泊まる事が出来る病院は少ないので、お父さんの部屋に泊まるのをとても楽しみにしていました。けれど、結局、僕たちは、お泊りをすることはできませんでした。お泊りをする予定にしていた2月20日のその日に、お父さんが亡くなってしまったからです。その日の午前4時過ぎに、お父さんが危ないという電話が家にあり、ぼくたちは、お母さんに起こされました。急いで病院に着くと、お父さんが苦しそうにベットに寝ていました。かけよると、せきがひどく、たんがいっぱい出ていました。ぼくは(お父さん、死んでしまうのかな)(どうにか助かってほしいな)(もっとお父さんと遊びたかったのにな)とか、いろいろな事を考えてしまいました。お父さんは絶対に死なないと信じていました。午前8時少し前に、ツンツン先生から『神様がお父さんをむかえにきているよ』といわれました。ぼくはびっくりして『パパ、もっと遊びたかったよ』『大好きだよ、パパ』と、お父さんに沢山話しをしました。ぼくたちがたくさん話しかけている中で、8時5分、お父さんは亡くなってしまいました。お父さんが亡くなった後、先生や看護師さんたちが、お父さんの部屋に集まって『イエスキリスト』の歌を歌ってくれました。その歌を聴きながら、『最期に、お父さんの為に歌を歌ってくれる病院なんて、他にないだろうな』と思うと、とても悲しいはずなのに、なんだか、うれしい気持ちになりました。栄光病院での時間は1週間と短かったけれど、栄光病院で過ごす事ができて本当によかったです。

以上です。

皆さん、感想を下さいませ。

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