『信じる』

自信。

この言葉は、日常生活の中で、良く使う言葉ですか?それとも、あまり使わない言葉ですか?

私は、最近、この言葉を良く使いますし、耳にする様になってきました。

プライベートな話ですが、お許し下さい。

昨日、長崎の高校で、寮生活をしながら、高校野球をしている息子と久方ぶりに、顔みながら話ができる機会を設けて頂きました。親元を離れ、自分で、人生を切り開いて行く為の修行を、甲子園を目指しながら行いたい・・と言う事で、その高校の先生を慕い、その高校に進学しました。

久しぶりに会う息子は、成長したなあ~と思う所と、変わってないなあ~と思う所があり、嬉しくも、はがゆくもある時間(これは私が彼に求めている欲があるのでこうなります)でした。そんな息子を、私は『信じる』事ができます。これは、娘2人にも、同じ事が言えます。

10年前の私は、簡単に『信じる』と言う言葉を使っていました。しかし、あるお坊さんの話を聴く機会があり、その話の中に、『信じる』と言う内容の話がありました。その際、このお坊さんは、『みなさん、みなさんは自分を信じる事が出来ますか?』と投げかけられたのです。私は正直、『うう』と息詰まりました。その当時、私は自分の事を信じる事ができていなかったです。自分は何者か?自分とは・・・そんな事を模索し、その当時行っていた仕事に対する行き詰まりもあり、苦しい時代でした。

『自分を信じる事ができない人が、人を信じる事はできない』そのお坊さんが、その様に言われたのです。私は、『はっ』としました。『俺は、自分の心を声を聴いていない。自分を可愛がっていない。自分にうそをついている・・』と、瞬間的に心が囁いたのです。

この時からでしょうか、少しづつではありますが、自分との決め事、自分との約束を行う様になりましたが、欲が多いせいか、欲張ったり、自分の実力を過大評価したりで、自分との約束を果たせない時も多々ありました。しかし、確実に出来た所もありました。今は、ゆっくりですが、自分の衣が1枚1枚剥げてきたので、より自分と近づいている様に思えます。

昨日、息子に会った際、いろいろ話をしたのですが、その際、『自信』と言うキーワードが頭の中をよぎったのです。寮生活をしている1年生が、監督夫妻、父母や先輩を前にし、自己紹介を兼ねた挨拶をするのです。『息子は何を話すのか・・』正直楽しみでした。息子の番になり彼が話した内容を聴き、『希望』ではなく、『今はついて行く事に必死なんだなあ~』と思いました。私が期待していた言葉は、『先輩達を追い越し、僕がレギュラーを取り、先輩達を甲子園に連れて行きます・・』と言う内容でしたが、それは、私が求めた内容なので、ただそれだけなのです。

その後、彼とは『自信・自分を信じれる様になろうな』と言う話をし、握手をしてわかれました。次回会って話が出来るのは、6ヶ月後です。その時、どの様に感じる事ができるか、大変楽しみです。

私は、彼を信じています。きっと、自分を信じれる男になるだろう。そうなる為に戦うだろう。と・・・

良い仲間や先輩、先生、監督と、とてもまわりに恵まれています。

『頼る』・『依存する』ではなく、『信じる』『自分を信じれる様になる』それが出来る男にきっと成長すると思います・・・

私も負けない様に、自分を信じる人間になれる様に、成長したい。人を信じれる人間になりたい・・・

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何の為に・・・

今日、とある場所にて、来年の4月より事業開始予定のプロジェクトの中で、重要な位置を占める事業に関する話し合いがありました。その席には、このプロジェクトで大切な位置を占める事業を一緒に行って頂きたいと思っている〇〇会社の社長様と、その事業を行う理事長様にお会いして頂き、事業の目的や、事業の全容、そして、何をその社長様にして頂きたいか?の説明を行いました。

冒頭、世間話から話がスタートしたのですが、この話が、大変勉強になるお話しでした。

『社長様は、今、どれ位の店舗を経営されているのですか?』『〇〇店舗位です。』『あっ、そうですか?これからも増やしていかれるのでしょうね』『いいえ、増やしません。何故かと言うと、最近スタッフが、接客マニュアルを作って下さい。と言って来るんです。何故、マニュアルが必要なの?って質問しても、返事が返ってきません。いちいちこういう場合はこうしなさい。と指示をして欲しいの?と言う事で、もうこれ以上増やさない事にしたのです。これを行うと、私の会社の良さが消えてしまうので・・・』『何の為に・・・がないのですね?』『そうなんです。私の父は、タバコといったら、タバコだけを持ってくるのではなく、ライターと灰皿も一緒に持ってくるもんだ!と言って、小さい時から躾けをしてくれました。そこがとても大切な所だと、私は思うのです。』『私は、以前、こんな話を聞いた事があります。その話は、今も私の頭から離れません。ある航空会社が運航している飛行機に、ぬいぐるみを、大切に胸に抱えていたご婦人がいたそうです。そのご婦人が、そのぬいぐるみを大切に扱っている所を、スチュワーデスが見ていたそうです。飲物を出す時間になった時、そのスチュワーデスは、そのご婦人が頼まれたお茶を持ってきたそうです。そして、そのご婦人が頼んでいた訳ではないのですが、そのぬいぐるみにも、同じお茶を持ってきて、お茶請けに、お茶を召し上がって下さい。と言って、置いたそうです。』『あっ、理事長、それなんです。それが大切なんです。』『社長、気が合いますね・・・』と言う会話がありました。

そのご婦人は、子供さんを亡くし、子供さんが大切にしていたぬいぐるみを抱えていたそうです。そのご婦人に、その様な背景がある事を、そのスチュワーデスは、その仕草やぬいぐるみの抱き方、雰囲気から見抜いたのです。素晴らしい・・・

『何の為に・・・』ここが明確になり、これが腹に落ちていると、何をやるべきか?は自ずと見えてきます。目的が明確な物同士が、同じ目的を共有できていれば、幾重のエネルギーへとなります。逆に、それが明確になっていない場合は、何をやっても上手く行かない。何をやっても感動しない。良い出会いがない・・・と言う様な現象になるのではないでしょうか?

この話を聞いた、プロジェクトメンバーは、全員、感動したはずですし、『そうそう、それが大事!!』と思いました。その結果、その場の大事な話も、前向きになり、良い方向に進む事になりました。

皆さん、もう一度、ちょっぴり立ち止まって、『何の為に・・・』を、自問し、整理してみませんか?それを行う事で、1日が、昨日より素晴らしくなると思います・・・

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親の想い

5月9日は、母の日でした。皆さんは、お母さんに、日頃の感謝を、どの様に表現されたでしょうか?

私にとって今年の母の日は、今までの母の日と違う、初めての感覚でした。

実は、今年度から、中学を卒業した長男が、長崎の高校に進学する事になり、今、寮生活をしています。長女は、鹿児島の大学に進学していて、寮生活をしています。5人家族である我が家は、ただ今、3人での生活となりました。特に長男は、中学を卒業した15歳、そしてたった1人の息子になります。どの子も可愛いですが、父親である私には、気になる存在です。

『お父さん、〇〇高校で野球がしたい。〇〇監督の下で、一緒に野球をしたい』こう伝えてきたのは、昨年の秋でした。中学に入学する際、硬式のクラブチームに入りたい。と言う気持ちを私に伝えてきた際、『文武両道』『自力で県立高校に進学』『最後までやり抜く』と言う条件をつけ、クラブチームに入る事を許可していましたので、彼も私に〇〇高校(私学)に進学したい。と言う気持ちを伝えるのに勇気と決意がいったと思います。彼の表情や決意を聞き、『良く決意したな。成長したな。』と言う気持ちと『〇〇高校に行くようになれば、寮生活になる。いづれは親元を離れる事になるけど、もう少し手元に置いておきたい。さびしい~』と言う気持ちが交錯し、『お前の気持ちは良く分かった。後は、お父さんとお母さんで話し合って、親としての気持ちをお前に伝えるから・・・』といい一旦、その場を終えました。

嫁さんは、長男の〇〇高校行き(寮生活)に大賛成でした。まさに『可愛い子には、旅をさせろ』です。私も賛成ではあるのですが、『誰か、俺のさびしい~と言う気持ち側の意見を言ってくれる人はおらんかね~』と心が叫んだので、もう何人かに相談しましたが、いづれも、賛成です。

私も腹を決め、長男を呼んで、『〇〇高校に行って、頑張って来い!!応援するから。』と、清水の舞台から飛び降りる積もりで、そう伝えました。彼の表情は、晴れ晴れし、本当に嬉しそうでした。それから幾多の苦難がありましたが、見事にそれを乗り越え、長男は、念願であった〇〇高校に入学し、寮生活を始め、野球も頑張っています。

しかし、さみしい。寮生活に入りますと、学業と野球、自立生活に向けての歩みが始まりましたので、中々連絡が取れません。それが寂しくて、心配で、親の私の方が、ぜんぜん子離れ出来ていません。

その中での母の日です。私は、18歳で親元を離れ、多くの怪我をしてきました。『あの時、親父とお袋は、随分心配しただろうな。家で、あの子はどうしているだろうか?と話していただろうな~』と考える様になり、そう想うと、『心配をかけてごめん』と言う気持ちも混じり、目頭が熱くなります。

その勢いのまま、『いつもありがとう。近いうちに、孫の学校を見学がてら、温泉でも入りに行こう!』と素直な気持ちで言えたのです。

心配ばかりかけた親不孝な私。今、長男がどうしているだろう?と毎晩気になる私。

その立場になり、初めてわかる親の気持ち。今、いい勉強をさせて頂いています・・・

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・・ 伝え 伝わる ・・ パート8

ミスターアッシュ夫婦との交流に感動をし、意気揚々とロサンゼルスからソウルに向けた飛行機に乗り込みました。いよいよ日本にもう直ぐ帰ります。ここまでの旅を振り返り、この時点で、自分にかなりの自信ができ初めていました。何よりも、飛行機のチケットだけ予約し、旅をした事。いろいろな方とお会いさせて頂きましたが、コミュニケーションをとる事が出来た。と自分で感じ、それに対する自信が最も大きかったと思います。

機内で、自分の席を探し、今度は、どんな人が隣に座るんだろう?とちょっぴりワクワクしながら、隣人を待ちました。すると、アジア系の叔父さんが、横に座ったのです。その方は、アメリカに在住している韓国人の方でした。

飛行機が飛び立ち、安定し、トムクルーズ主演の映画『カクテル』をハングル語で気持ちよく鑑賞していた時、トントンと私の肩をたたく人がいました。その方向を向いてみると、その叔父さんです。

その叔父さんは、日本語を話す事が出来ました。話を伺うと、14年ぶりに母国に帰るとの事でした。そして、話が、日本の事になってきました。ちょうど、私がこの旅を行ったのが、平成元年であり、その年の1月に昭和天皇がお亡くなりになっていました。

その叔父さんは、昭和天皇について、いろいろ話をしてきます。無知な私は、その叔父さんの話にただただ耳を傾け、その人が何を伝えたいのか?を掴み取る事に終始していました。私が話を聞くものですから、その叔父さんは、だんだん興奮して話をする様になり、トーンが上がってきていました。

『どうしよう・・・』と思っていた時、スチュワーデスさんが、その叔父さんに、『ドリンクはいかが?』的な話を投げかけてくれ、ドリンクを持って着た時に、ハングル語で、何やら話をしてくれていました。その後、その叔父さんは、ピタッと話を止め、寝てしまいました。

この叔父さんは、その当時の日本に対し、特別な感情を持っていましたし、私が無知で、反論をしない事に対しても怒っていたんではないか?と思います。

私は、母国の事を知らずに外国の方と接する事に、とても非礼な事であり、いろいろな方とコミュニケーションをとる事は難しい。と感じました。子供のオリンピック、家族のオリンピックを行う上では、まず、私が日本の事について、良く勉強をしておく事。(ミスターアッシュの奥さんは、京人形をとても絶賛されていました。私が、日本の文化をプレゼントした事に、喜んでくれた様な気がします)そして、自分の意見、考え方をしっかり持ち、人に伝えきる事。この事が出来ないと、中々世界の人と、話、コミュニケーションをとる事が出来ないと実感しました。

金浦空港に到着し、福岡行きの飛行機に乗り換えます。下界に、福岡の街が見えてきました。やっと帰ってきた。飛行機からおり、到着ロビーに着き、1人の女性が迎えに来てくれていました。その顔をみた瞬間、ホッとし、今までの緊張感が緩んだ事を鮮明に覚えています。その後は、今回、ここで書きました、・・ 伝え 伝わる ・・の話を、その女性(妻のことです。)に、機関銃の様に話をしたらしいです。彼女から一言『良かったね』『逞しくなった様な気がする』と言われ、『よーし、今から頑張るぞ!!』と天にも昇るテンションに跳ね上がり、その勢いのまま、社会に出て行った事を、昨日の様に思い出します。

・・ 伝え 伝わる ・・ これが、完璧に出来た時、凄く嬉しい。逆に、中々出来ない時、何でだろう?と悩みこみます。これは、何が違うんでしょうか?伝える側にもなり、受け取り手にもなるんですが・・

一方が、欲まみれ・自分まみれだとすると、中々それが出来ない。だから、互いの気持ちや考えの位置が揃う必要があるのかもしれませんね。私の中では、このテーマは、まだまだ勉強する必要があると思っています。

今、身の回りでは、この事が出来る素晴らしき先生が何人かいます。それらの方々から勉強をさせて頂こうと思い、その方々との会話のやり取りを思い出しながら、その時自分がどの様な目的で、その会話に望んだか?等々も思い出し、ここでの良い点と反省を、次に活かそうとしている途中の私です。

まだまだ 『伝える事・伝えたい事をキャッチする事』が充分できていませんが、それが出来る人になりたい。と言う大きな夢を叶える為に、今後も精進していきますので、皆さん、宜しくお願いします。

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・・ 伝え 伝わる ・・ パート7

ウエストパームビーチのバスターミナルで、生原先輩の本を読みながら、『先輩は、何を伝えてくれようとしたのか』を考えていると、何やら後ろの方で、声が聞こえてきます。そのささやく様な声に耳をかたむけてみると『ヘイ、ジャップス。ヘイ、ジャップス。』と言っているではありませんか?

ジャップスの意味は、中日の入沢コーチから伺ったので、その様に言う人間の傍に近寄らない様にとアドバイスを頂いていましたから、知らん顔をしていました。すると、何度も『ヘイ、ジャップス』と呼ぶのです。しばらくするとその声が静まり、ようやく退散したか、と思っていましたら、『ヘイ、ジャップス』と今度は、近くで聞こえます。そうです、何と私のリュックサックに彼らの手がかかり、腰の辺りに、ナイフらしきものが当てられていたのです。要求は、『金を出せ』でした。『私は、金を持っていません。貧乏な日本人です』と説明しましたが、信用しません。何と〇〇な〇〇人だ。と思いながら、本当に貧乏なので、財布の中身を見せてあげようかと思った矢先、腕を掴まれ、連れて行こうとします。『おい、やめろ!!』と大きな声を出したその時、バスがターミナルに入ってきました。すると、中から警官が現れ、その〇〇人が、すぐさま退散してしまいました。間一髪、助かりました。怖さを痛感した中、バスの到着まで後3時間、どう乗り切るか?

3時間後、バスが到着し、バスに乗り込みます。バスの中も暗く、空いている席を探します。良く見ると、〇〇人ばかり乗っています。先程の恐怖がありますので、その横には座りたくない。と思いながら席を探していると、3人がけの真ん中の1席が空いていました。隣の人の顔をみると、両隣とも〇〇人です。しかたない。ここに座って朝まで起きておこう!!と腹を決め、座ります。タンパには、朝6時に到着です。6時間、絶対寝ないぞ!!と自分に言い聞かせていました。次の瞬間、私の肩を誰かがたたいています。気がついたら、隣の〇〇人の肩に頭を乗せて、寝ていた私がいました。バスは既にタンパに到着しており、隣の〇〇人が、『グッモーニーング』とささやいていました。何ともおはずかしい・・・

タンパからメンフィスに行き、メンフィスからロサンゼルスに向います。その飛行機では、3人がけの席で、私は窓側に座り、隣は、仲が良さそうな老夫婦でした。

途中、真ん中の老母の方が、私にクッキーをくれました。私は、昨日の事があったので、この様な暖かい気持ちがとても嬉しく、クッキーをくれたお礼として、何かをプレゼントしたい!!と思い、リュックの中の品物をあさっていましたら、京人形の写真の載ったテレフォンカードが出てきましたので、これなら喜んでくれるのではないか?と思い、老母にプレゼントしました。すると、その人形にとても喜んでくれ、老父の老母も、握手を求めてこられました。

気持ちと、気持ちの繋がりが出来た瞬間です。もし、昨日あの出来事がなかったら、ここまで人の気持ちが嬉しい。と感じていなかったかもしれません。本当にこの瞬間は嬉しくて・嬉しくて、叫びたくなるくらい嬉しかったです。

その後、飛行機がロサンゼルスに到着すると、その老夫婦が、記念撮影をしよう!!と言って下さり、スチュワーデスさんに写真を撮って頂きました。『この写真を送るから、君の住所を教えて下さい。私は、アッシュと言います。決して怪しいものではありません。』と言われ、私もありがたい気持ちで、実家の住所を書きました。その後、その夫婦とは、握手でわかれました。

日本に帰り、2ヶ月後、アメリカから郵便物が届きました。そうです。ミスターアッシュからです。彼は、生命保険会社を経営していました。名刺・会社の帽子・Tシャツ・写真・手紙が送られてきていました。その後6ヶ月位、文通が続きましたが、何とも嬉しく、自分に自信の出来た瞬間でもありました。

・・ 伝え 伝わる ・・ こんな事がまさかあるとは思いませんでしたが、この瞬間を味わう為に、アメリカに行った様な気がします。この出来事は、一生忘れませんし、子供や、孫たちにも伝えていきたいと思っています。

次回は、ロスからソウルまでの中で起きた事をお伝えします・・・

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・・ 伝え 伝わる ・・ パート6

『夢にまで見た生原先輩と会える。』心の中の興奮を押さえきる事が出来ず、勢いのまま、ドジャータウンの中を進んでいきました。そこに警備の方がおり、『アイク生原さんと約束がある』その事を伝え、呼んで頂くことになりました。それからしばらくして、『鷹尾君、ごめん、待たせたね』『いいえ、初めまして、田川高校野球部後輩の鷹尾剛と申します。』『ここまでどうやってきたの?』『はい、歩いてきました。』『そうか(笑)今晩のホテルは予約しているの?』『いいえ、ノープランです。』『そうか(笑)じゃ、まず僕の部屋に行こう。シャワーでも浴びなさい』という会話を、がちがちに緊張した中行いました。

渡米前、生原先輩の書かれた本を読んでいた私からすると、雲の上の様な存在のです。

生原先輩は、田川高校で野球をした後、早稲田大学に進学し、野球をされます。その後、大学・社会人野球の監督を経て、当時のプロ野球セリーグコミュッショナーの鈴木さんの助言もあり、ドジャースに行かれました。当時は、どこの馬の骨か?とドジャースの中では思われていたと思います。しかし、生原先輩は、選手たちのグローブ・バット・スパイク・ボール等を、心を込めて磨き、この選手達に活躍して欲しい。と言う願いを込めていたといました。来る日も来る日も同じを光景を見る選手や関係者が、その姿に心を惹かれ、選手が活躍し始め、関係者も、アイクと親しみを込めて、呼ぶようになってきたそうです。それが、当時の会長であったピーターオマリー会長より認められ、会長補佐という仕事を行い、日本とアメリカの野球の架け橋的存在となって言ったのです。

シャワーを浴び終え、忙しい生原先輩から『食事を一緒にしよう!』と言われ、ドジャース選手専用レストランに向います。そこに付くと、選手達が食事を取っています。ドジャースは、その前の年に、ワールドシリーズを制し、チャンピオンになっているチームです。その選手達と同じ場所で食事だなんて・・・もうたまりません。そして、テーブルに着くと、同じテーブルに、私の大好きな阪神タイガースの元エースで、押さえの切り札だった山本和行元投手がいます。そして、中日の選手、ピーターオマリー会長と同じテーブルです。もう気絶しそうです・・・

もっぱら話を聞くだけの私は、その夜、中日のコーチであった入沢さんの部屋に泊めて頂くことになりました。ここでも、いろいろなプロ野球選手の話を伺い、何の為にドジャータウンまでいったか、すっかり忘れ、一野球小僧と化していました。

次の日、ドジャース対メッツのオープン戦があります。生原先輩からは、『今日は、何時に帰ればいい?』『ウエストパームビーチを18:00出発です』『わかった。送っていくから・・』恐縮です。

グランドでは、バレンズエラがダッシュをしています。近くまで行くと、もの凄く大きな太ももがありました。『これは、鍛え方が全然違う』直感的にそう思い、生原先輩に話す用事を忘れ、練習見学に熱中です。グランドに移ると、オープン戦に向けて、練習しています。マレーがいます。ストロベリーがいます。ラソーダ監督もいます。もうたまりません。試合に向けて、鼓笛隊が入場し、試合前を盛り上げます。私は、興奮の坩堝にはまり込んでいました。アメリカの国家が流れ、スタンドにいる観客が立ち、ほとんどの人が、旨に帽子を当て、愛国心・忠誠心を誓っている様に感じました。

6回が終わる頃、生原先輩が迎えに来てくれ、『ごめんごめん、遅くなったけど大丈夫か?』『多分、真に合わないと思います。』『そうか、ウエストパームビーチから次はどこにいくようにしてるの?』『はい、タンパです。朝のタンパからメンフィスにいく飛行機に乗る様にしています』『そしたら、ウエストパームビーチからタンパへの夜行バスを利用したらいいよ』といい、ウエストパームビーチのバスターミナルまで送ってくれる事になりました。

『ところで鷹尾君、君は、私に何か大切な用事があったのではないか?』『はい、私は、子供のオリンピックや家族のオリンピックをしたい。と思っています。ついては、長島茂雄さんに、旗振り役をお願いしたいと思っていますが、私の周りに知り合いがいません。生原先輩、長島さんを紹介して下さい。』無謀にも、正直に私の気持ちを伝えました。

実は、ドジャータウンに着き、生原先輩に会い、いろいろな場面を見たり、生原先輩の話を聞くにつれ、言い出せなくなっていたのです。実に甘い考えだ!と自分で思いましたし、こんな事、この大先輩にお願いできない。と思っていました。

しかし、勇気を振り絞り、お願いをした所、『鷹尾君、わかった。まず、3年間社会に出て、修行をしなさい。まず、とことん仕事をしなさい。そして、3年後に、その希望が今より強いのなら、またここまで来なさい』『はい』と言い、涙が出てきました。何故涙が出たのか、未だにわかりません。そうこうしている内に、ウエストパームビーチのバスターミナルに到着です。生原先輩に深々と頭を下げ、お別れしました。これが、本当に最期のお別れとなりました。

これから3年後、生原先輩は、長島一茂選手を、ベロビーチで鍛えている中、病に倒れ、胃がんでお亡くなりになりました。

午後6:30頃にバスターミナルに到着し、午前0:00にくるバスを待ちながら、生原先輩の言われた事を、何度も思い返し、生原先輩の本を、何度も読み返し、何を伝えてくれようとしたのか?考えていました。

次回につづく・・・

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